いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その503:一人四役!)

昨日、今日と大阪府堺市の大浜だいしんアリーナ(大浜体育館)にて2023年度全日本シニア柔道体重別選手権大会が開催され、男女14階級で熱戦が展開されました。

この大会は、『試合機会の少ない社会人選手の競技力向上を図り、社会人柔道の振興を促進する」ことを目的に昨年度から全柔連が積極的に展開。前週に行われた全日本学生柔道ウィンターチャレンジトーナメント(旧全日本学生柔道体育系大会)と同じく、普段とは違った視点から柔道大会をフォーカスしたもので柔道界にとっては大変意義のあるものだと感じています。

今回、初日にたくさんのメディアの注目を集めたのが 2012年ロンドン五輪男子100キロ級代表で天理大監督の穴井隆将さん(39)が、現役引退後12年ぶりに公式戦に姿を現したこと。90キロ級に出場した 穴井さんは2回戦で敗退したものの、試合後のインタビュー、そして自身のSNSで、

「負ける」とわかっていても戦う勇気。
「負ける」ことは怖くない。
人間には「負け」がつきもの。
学生に伝わったかな?人間は失敗して良いんです。負けても良いんです。戦うことが大切です。

と語り、多くの感動を呼びました。

そして、2日目。メディアではなく関係者の注目を浴びたのが(笑)、我らスポーツひのまるキッズの柔道プロジェクトリーダーの吉原くん(巻頭写真)。試合の詳細はここの『柔道日誌』で本人から発表があると思いますが、

あるときは柔道マガジン販売ブース

そして、ある時は今年度ひのまるキッズ近畿大会の会場打ち合わせ、

そして、ある時は優勝選手インタビュー

まさに獅子奮迅の大活躍!一人四役をしっかり全うしてくれました。

スポーツで飯を喰う

まさに我々の理想像となりつつある若きリーダー。

ただ、願わくば、現役時代全日本学生に2度出場した体系(90キロ級)から大成長したその姿に違った意味で注目(心配)される声の多いことも自覚してもらいたいものです(笑)💦

いまから、ここから、健康第一!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その502:謹賀新年。2024年は『こだわり』の年!)

新年明けましておめでとうございます。

コロナ禍も終焉を迎え、人々が当たり前の生活ができる喜びをかみしめた2023年は、我々も様々な挑戦をいたしました。

★前年に無くなってしまった柔道情報専門誌を復活させた『柔道マガジン』の創刊。

★柔道マガジン杯、道場わっしょい!を全日本柔道連盟と共催でスタート。

スポーツひのまるキッズイベントも、5月の関東大会で通算100回とを迎えた小学生柔道大会は7大会、 ソフトテニス親子大会は、群馬大会も加わり3大会となりました。

全ての大会をフルスペックで開催し、ほとんどの地区でで最高参加人数達成!と、 ジャパンスポーツコミッション15周年、スポーツひのまるキッズ協会10周年の この年は、まさに呼吸するのも忘れるくらい多忙な1年でした。

ただ、個人的には、2022年から2年間で4回入院、3回手術と(別に命に別状はありませんでしたが)しっかりと還暦『本厄』と全うさせていただき💦、さらに事業運営的にも大きな転機を迎え、精神的にはかなり弱気になってしまったものの、前述した忙しさに『空元気満載』で己を鼓舞してがむしゃらに前だけを見つめていた・・というのが本音です。

そして、2024年。

昨年実現した『参加選手が講師として戻ってくる』の次のフェーズ、 『参加選手が親となって親席に座る』の場面が現実のものになるまでの第一歩として掲げるスローガンは、

『こだわりの年にする』

ただただ前だけを見てがむしゃらに走ってきたこれまでの人生。今年は意識的にスローダウンし、足元を固めることに集中し、理念をさらにブラッシュアップさせ、とことん見つめ直す。この先、10年、20年と拡充できるように今一度、『こだわり』を持って、一つ一つのイベント、一冊、一冊の雑誌に取り組んで、一日一死の思いで大切な仲間と時を刻んでいきたいと思っています。

勇気を持って、
誰よりも熱く、そして深く、
『こだわる』ことに己を尽くす

いまから、ここから! 本年もご指導ご鞭撻のほど、何とぞよろしくお願い申し上げます。

2024年元旦

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その501:友情で大切なのは知り合った年数ではない)

あれ、見ました?本木さんが平尾さんにそっくりでビックリしました(笑)

久しぶりに会ったラグビージャーナリスト、偉大なる後輩の村上氏と話題になったのが、11月11日にテレビ朝日で放送された~平尾誠二と山中伸弥『最後の一年』~でした。

大学時代までラグビーをやっていた山中伸弥さんが、2010年に雑誌対談でずっとあこがれ続けていた平尾誠二さんと対面。友情を温める二人を襲ったのが、平尾さんのガンという悲劇・・。

山中さんが平尾さんの闘病に寄り添っていたという事実は、生前はほとんど知られていなかったということでしたが、番組を通して出会いから死別までを追った内容は二人の『友情』の深さを感じてあまりあるものがありました。

私自身、平尾さんとは共通の友人の紹介でお会いしてから何度かお話をさせていただいたことはありましたが、凄く印象に残っているのが会社創立2年目でひのまるキッズをスタートさせ全国を奔走していた時、偶然にも2か月連続で新幹線内でお会いした時のことです(山中さんが平尾さんと対談した年だと思います)。

あれ!またお会いしましたね!!キッズ柔道!今日はどちらまで?

初対面の時に同じ歳という話で盛り上がったためフランクに、でも紳士的に声をかけてくださり

いやぁ、かっこいいなぁ・・と勝手に応援してもらったつもりで協賛営業にも気合が入ったことを昨日のように覚えています。

ただ、それ以降はお会いするチャンスもなく、次に平尾さんのことを見たのは訃報を伝えたニュースでした。

なので、平尾さんと山中さんの関係は全く知る由もなく、山中さんが本を出版していたことも今回初めて知りました。

そして、この番組を見て強烈に思ったことは、

友情の深さは、知り合った年月と必ずしも関係するものではない

ということ。

彼らがたった8年で互いを重んじ、家族も交えて育んだ『友情』はまさに時空を超え、その深さは計り知れないものと見受けられました。

それは、ラグビーという共通項はあるものの、それを超えた倫理観、生き様がしっかりと合致したからこそ生まれた深さだと確信しています。

満身創痍で戦うことをあきらめなかったミスターラグビーに改めて敬意を表し、同じ歳のこの二人に負けないように『役割と責任』を果たしていきたいと改めて思っています。合掌。

いまから、ここから、『こんちくしょ~🔥』で気張ります!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その500;知らなきゃ、損、損🔥)

近代柔道が無くなったのは広く全国に知れ渡っているけど、柔道マガジンが創刊されたのは全く知られていない。永瀬、まだまだだぞ!!!

柔道マガジン創刊をいたるところで広めていただいている佐藤宣践先生から『喝!』が入りました。

6月に出した創刊号はまだしも、ひのまるキッズの情報をお知らせしている全国の道場へのDM、全柔連「まいんど」で取り上げていただいたり、各種大会会場でチラシ配りをしたりしてできる限りの宣伝活動をしたつもりの第2号。
見た人にはある程度の高評価をいただいているのですが、冒頭の先生のお言葉通り、

まだまだ・・、いや、
まだまだまだまだ・・、まだまだまだまだまだ!!!!

知られていません。

今から36年前。

25歳で近代柔道の編集長になって、会社的には諸先輩にたくさんのご指導をいただきながら、力の限り挑戦していたあの頃を思い出し、
まずは、あの時に満足いかなかった、

家族が、彼氏が、彼女が持ち歩いてもらえるような『格好いい』雑誌として体裁を整える

という面では、阿部兄妹の表紙、この二人に角田夏実さんを加えた巻頭カラー他のおかげで理想的なスタートは切れたと自負しています。

ただ、年に4回の発行ということで、限りあるページ数の中では、大会を追いかけるのが精いっぱいで、
企画ものは、気になる試合を選手の解説を交えて深堀していく『DEEP BOUT REVIEW』のみ。

ただ、これ以上ページを増やすことは経済的に厳しく、優秀な編集スタッフと頭を悩ましているところです。

そして、もっともっと残念なのが、創刊時の想いを具体化した『一人でも多くの人たちの名前を載せる』記録のページ。全中、インターハイ、学生、実業団に至るまでの全記録を掲載させていただいた25ページのこと。

特に、オープン参加の金鷲旗でも1回戦からの全記録を掲載と、これまでになかった試みを実施しました。

先日、出張先で後輩と食事をしているとき、そのことを話したら『え、じゃあ、息子も出ているってことですか?』と手元にあった柔道マガジンを手に取って『お、あった、あった、それも2回も載っている!これは我が家の宝にします』と、すぐに田舎のおばあちゃんに電話。

それを見た時、

全国書店で販売されている柔道専門誌に自分の名前が載っていることを知らない柔道家はいったい何人いるんだろうか?

と、悔しくて、悔しくて・・・。

編集者時代はもとより、これまで、

自分が掲載された近代柔道が今でも我が家の宝です。

という言葉をこれまで何回聞いたことか・・・。
そして、その夢が叶っていることを知らせることができていない自分の不甲斐なさをこれほど悔やんだことはありません・・・。

ただ、こんな時は、

永瀬君。新聞記事見たよ。
ありがとう。
近代柔道の想いを受け継げるのは、君しかいないと思っていたよ。
本当に感謝します。

ただ一つ、決して焦らないように。
雑誌というものは、徐々売れるもの。
焦らず、良いものを作るんです。

多くの人々からの評判『口コミ』が一番発行の助けになります。
君ならできる。頑張れ!!


君ならできる。頑張れ!!

3月に朝日新聞のコラムで、柔道雑誌復刊の記事を読んだかつての上司(当時は雲の上の役員)から直筆で手紙を読み返し、こんな時こそ、この言葉を噛み締めて、踏ん張りたいと思っています。

いまから、ここから🔥

500回目の独り言。ここまで、色々なことがありましたが、その都度、たくさんの人に支えてもらいました。心から感謝申し上げます。
そして、初志貫徹。子(柔道家)と夢をつなげるこの事業、力の続く限りやり切りたいと思っています。はい、いまから、ここから。これからもよろしくお願い申し上げます。





いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その499:日和です)

なんと気が付けば10月1日以来の投稿になってしまいました。

これまでこんなに間をあけたことはありませんでした。

新人を中心にスタッフがしっかりと自分の順番を守って定期的にアップしていたことによる安堵感で少し甘えがあった・・全ての土日が出張で埋まっていたため機を失っていた・・と理由を挙げればきりがありませんが、正直、この間、還暦を過ぎて初めての誕生日を迎え、己の人生『これから』に対し、考えること満載で、日常を振り返る時間がなかったというのが事実でした。

3月に会社としては大きな決断をして新体制の第一歩を踏み出し、5月にスポーツひのまるキッズ柔道大会は通算100回を迎え、6月に柔道マガジンを創刊、3月、9月と全柔連と共催で柔道マガジン杯、道場わっしょい!を開催させていただき、柔道マガジン2号を発行し、ひのまるキッズを3大会消化して・・と新旧合わせてこれまで以上に目まぐるしい生活に追われ、ふと気が付いたらアッという間に8カ月が経っていた・・

という感じ。

その間、そんなことは今に始まったことではないと、取りつかれたように出張を入れ、がむしゃらに全国協賛社周りを一人で敢行し、ヘロヘロになって家に戻り、また起きて、準備して出かける・・

そんなことを繰り返しているうちに「今」を迎えてしまいました。

そして、今日、

大会史上2度目の晴天に恵まれた(残りは雨天順延)、第7回スポーツひのまるキッズソフトテニス親子大会。

『これ、いい大会ですよね。こんなに家族で楽しめることは無いですよ!』
と思い切りひのまるキッズを楽しむ親子たち・・。

秋のスポーツ日和の下で、開会から閉会まで、試合で、応援で、いたるところで満面の笑みを浮かべて、精一杯の声を出しひのまるキッズを楽しむ親子、家族の姿を見ながら、しみじみとこう思っています。

これまでの人生、まんざらでもないな。でも、まだまだ、やること満載だ!

いまから、ここから、うん、間違ってない!

永瀬義規

追伸 親子の感動の映像集は滝川のブログで紹介します!

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その498;柔道マガジン本屋さんデビュー🔥)

9月27日。

ドキドキしながら本屋さん巡り。お目当ては、

柔道マガジンNo.2

6月発売の創刊号では、書店販売が間に合わなかったため、事実上、この号からいわゆる『本屋さんに並んでいる本』の仲間入りということで書店に、イン!!

スポーツ雑誌コーナーに到着すると・・

ありました!!!

やった!

良かった!!

周りを気にして記念撮影(巻頭写真)をして、思わずレジに行って店員さん

『柔道マガジンってありますか?(わざとらしい💦)

と聞くと、

はい、今日から販売です・・と売り場まで案内してくれて、

『結構豪華な雑誌ですね! この阿部兄妹恰好いいですね』

と言われ、もう・・天にも昇る気持ちとはまさにこのことだなぁ・・と一人ニヤニヤしてしまいました(笑)

37年前、社会人1年生で自分が初めて携わった『近代柔道』発売日に味わったあの感動をまさか還暦で再び味わえるとは・・幸せです。

ただ、その瞬間、編集長を経験して会社を辞めるまでの5年間が走馬灯のように脳内をグルグルまわり、再び体験するであろう、怒涛の紆余曲折人生に期待と不安でいっぱいになっている自分がいます。

とはいえ、やるしかないです!
はい、焦らず、急いで、今度はこれまでの経験を活かして、我が人生の集大成を楽しみたいと思います。

さて、最後に『柔道マガジンを書店で買おうと思ってもない』というお問い合わせが殺到していますので、それにお答えします。

いきなり『柔道マガジン』と言わず、
『日本文化出版MOOK(ムック)の柔道マガジン』とお問い合わせください。さらに確実なのは、『雑誌コード 65072-04』でNo.2はご用意できると思います!

さらに、インターネットでは、様々なサイトで購入可能です。
創刊号の購入、定期購読は、
◎fujisan.com

2号からの一冊買い、電子書籍は
◎amazon.co.jp

◎YAHOOショッピング

◎ヨドバシ.com

◎楽天市場

です!皆さんお気に入りの場所でGETしてください。

さあて、次はどんな内容にしようか・・

いまから、ここから、ワクワクが止まりません!

永瀬義規






いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その497:Decade~10年~)

2023年9月18日。スポーツひのまるキッズ協会は創立10周年を迎えることができました。ありがとうございます。

この10年

2009年4月ジャパンスポーツコミッションの社運をかけて産声を上げた『スポーツひのまるキッズプロジェクト』。まさに〝産みの苦しみ”の5年間、必死にもがき続け、毎回、毎回・・途中で東北大震災に遭遇したときも・・ 全国各地に深夜バスで向かい、現地では軽自動車に乗り、雨の日も風の日も・・。

そして、会社の存続さえも危ぶまれたあの時、10年前のあの日、この事業だけは・・・と、起死回生の大逆転を願い会社登記。その日の夜も富山行きの深夜バスに乗り込んでいました。

翌日の早朝に到着し、いつも無理言ってお願いしている朝ぶろに入れていただき、2日間富山を回った時のことを昨日のことのように覚えています。

10年間お世話になっているお風呂

Decade~10年~

ひのまるキッズ六訓を掲げ

柔道に続いて、
バスケット
自転車
バレーボール
ソフトテニス

と5年間で様々な種目に挑戦。

6年目に新たなパートナーと組んでスタートしたのにも関わらず、コロナでイベントを開催できないといういきなりの大ピンチ。

しかし、各大会ごとに『10年の軌跡』を振り合える雑誌を発行し、クライアントにはイベントの代替案と認めていただき首の皮一枚で乗り切り、スタッフの後押しもあって、TOKYO2020の日本武道館メディア対応責任者を引き受け、なんとかやり遂げ、その後の約二年間で四回の入院、3回の手術を経験💦

今年度から新たな建付けで再スタートに踏み切り、柔道マガジン杯、道場わっしょい!を全柔連と開催、そして、柔道マガジンの発行と、いささか柔道に軸足が偏ってしまっている感はあるものの(笑)、足元を固めて次のジャンプに備えながら今日という日を迎えることができました!

7年ぶりに開催できた『道場わっしょい!in愛媛』

数日前、富山の宿で上記のお風呂につかりながら・・

あれから、10年。深夜バスから新幹線とアップグレードできるようになったなぁ・・としみじみ感じつつ、この10年で明らかに次のフェーズに入りつつある『今』を実感しています。

decade after decade

1年、1年の積み重ねを尊重するのも大事ですが、我々は次の10年をフォーカス。まずは10年後の未来、ひのまるキッズをどうしたいのか、『スポーツで親子の絆を深め、子と夢をつなげる』ことにより真摯に向き合っていきたいと思っています。

いまから、ここから、皆さま、引き続きご指導、ご愛顧のほど、どうかよろしくお願い申し上げます。

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その496:写メを撮ることに戸惑いを感じた鳥肌が立つほど素敵な出来事)

8月21日、病気明けの現場復帰初日。初仕事は、9月27日発売の柔道マガジンNO.2のカラーページ特集のスタジオ撮影&インタビューのアテンドでした。

秋葉原のスタジオに現れたその女子柔道家は、私服、柔道衣姿で淡々と撮影をこなし、初アテンドで緊張していた女子スタッフや、我々にも細心の心配り。

そして、なによりも、あのウクライナの世界一美しい柔道家に引けをとらない容姿にカメラマン、メイクさん、そして我々を一瞬にして虜にしてしまいました。

翌日、出社して久しぶりに顔を合わせたスタッフに、自分の病気のことそっちのけで彼女の魅力を語っていましたが、まさか、その週末、その姿をも吹っ飛ばす彼女のワンシーンに、いつものように写メを撮るという行動を忘れてしまうことになろうとは思いもしませんでした。

全日本実業柔道個人選手権大会初日。

全ての試合が終了し、スタッフが入賞選手のコメント撮りなどをしていたため、撤収は一番最後になり、荷物が置いてあったサブアリーナに足を踏み入れた時、そのシーンに遭遇したのです。

もちろん、サブアリーナも人はいなく、翌日の試合を控えた弊社スタッフが待っているだけ・・と思いきや、そのすぐ横で女子数人がバタバタと何かをしていました。

まだ、残っている人たちがいるのだなぁ・・と何気なく近づくと、ちょうど別の出口から入ってきた、両手に空のペットボトルをたくさん詰め込んだゴミ袋をもった女性が、『あ、お疲れ様です!』と近寄ってきました。

その方こそ、つい数日前に我々の前でパリ五輪内定者としてカメラの前で様々なポーズを決めてくださったその女性柔道家でした。

彼女は、SBC湘南美容クリニックの同僚たちと、その会場に置きっぱなしになっていたゴミをてきぱきと集め、撤去していたのです。

最初は普段通りに『よし!FBで紹介しよう!とタブレットを取り出すのですが、そんな行動を移す間もなく彼女たちの姿に目が釘付けになり、そのあと新人・中村をはじめとする弊社スタッフが加勢に入ったとき、スマホで写メを収めるのがやっと。それが、巻頭の写真でした。

よく映画館の上映前の宣伝映像で、
『ブラジルのサッカーワールドカップで日本のサポーターが試合後スタジオのゴミを片付けて話題になった・・』
というCMを見て「うんうん、それでこそ、日本人」と毎回頷いていますが、申し訳ないけど、あのCMの何十倍、いや、何百倍も感動。翌日、井上康生さんを初め、会う人、会う人、皆にそのことを共有させていただきましいた。

そして、今、このブログを書きながら、ペットボトル一杯のゴミ袋を両手に抱えた彼女の神々しいその姿を思い出しながら、インタビューで『減量を始めとする様々な試練を乗り越えることができたのはなぜ?』という質問に答えた彼女の言葉が腹落ちしています。。

『応援してくれる人たちに喜んで欲しいという気持ちで乗り越えました』

ありがとうという感謝の心。私がしますという奉仕の心。
溢れ出る二つの心を持ち合わせるパリオリンピック柔道48キロ級日本代表内定者。

角田夏実さんの、いまから、ここから、から目が離せません。

永瀬義規



いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その495;底力くん)

あの時に比べたらたいしたことない、あの時を乗り越えたのだから、今回も必ず大丈夫だ!

還暦を迎えた昨年からの短期間で・・、右目白内障、顔面神経麻痺、左目白内障、そして、今回の右目網膜剥離と立て続けに発症し、4度の入院生活を経験しました。

4回の入院生活、自宅療養で何かこれまで馬車馬のようにただただ走り続けた人生に神様が、『お前も還暦か・・、少し休みなさい』と言っているのかなぁ・・
と思わずこれまでの人生を振り返ってしまいます。

ここで何度も書いていますが、これまでのジェットコースターのような我が人生、たぶん巷の還暦おじさんと比べてもお陰様でよりスリリングな体験をしてきたと自負しています。

目の前に立ちはだかる壁が高ければ高いほど、『できるまでやる』という気持ちだけで我武者羅にすべてを投げうって挑んでいくとき、その根拠のない自信を支えていたのが冒頭の言葉でした。

あの時はどの時?

今、改めて振り返ってみて、『あの時』と思った時が次の『あの時』になっていたような気がします(わかりにくいですが💦)。

そして、どの時でも常に冒頭の言葉を私に、ある時は優しく、またある時は拳を振り上げて投げかけてくれたもう一人の自分、それが今回のタイトルにある

底力くん

なんともうまく表現できないとウジウジしていた矢先、病床のベッドでなんとなく見ていたお昼の番組で特集されていたある人の人生。そこにあったコメントで、そのことが明確になり、画面のコメンテーターと共に涙が溢れていました。

途中から必死になってメモを取ろうとしたのですが、ペンを走らせるより、より感情の高まりが強く、うまくいかず・・。

そんな時に、FB友達で柔道家であり経営者の戸髙氏が、自身の投稿でその番組の彼女のコメントをしっかりと紹介してくださっているのを発見しました。

 先程テレビを見ていて、先日亡くなった、夏まゆみさんの言葉で、
『人間にはすごい底力があるんです。底力って、怖いイメージがあるから、私はいつも「くん」付けにすることにしています。
底力くんというのが、みんなの身体の中にはいるんです。底力くんは、すごい大変なときや、すごくつらいときにしか、ムクムクって出てきてくれない。でも、みんな持っているんです。本当につらいときこそ、底力くんに会えるチャンスです。
そして底力くんに会えるときは、成長するチャンス。底力くんに会えた自分は、絶対に自信が持てる。だから、つらいときも、大変なときもチャンスと思って頑張り続けることが大事。みんな底力くんを持っているから。
きっといろんな人から「頑張れ」って言われていると思います。頑張っているのはわかっている。でも、もっともっと自分の底力くんに会いに行くことが大事なんです。残念だけど、一生懸命生きてるとき、ガムシャラに頑張ってるときって、わからないんです。自分の能力があるのかどうか。逆に「あれ、もしかしたらダメなのかもしれない。向いていないのかもしれない」って思ったりする。
でも、そんなときこそ、チャンスなんです。底力くんに会えるチャンス。本当に頑張ったときに出てくる、底力くんに出会うために少し落ち込んだとき、ちょっと壁にぶつかったとき、あえて一歩を踏み出してほしいんです。
みんなにいるんだから。底力くんはちゃんといるんだから。ぜひ、底力くんに会いに行ってほしい。人生、無駄なことはないんです。本当なんです』
と言う話か、1番印象に残りました。これは、人生にもスポーツにも、何にでも当てはまると思いました。これから数年は、建設業界もそうですが、景気が悪い事が続くと思います。キツい事や、厳しい事が、これから襲いかかってくると思います。そんな時に、『底力くん』と会えるように、頑張っていきたいと思います。

私にとって『あの時』は苦しい時ではなく、底力くんと会えた時だったのです。

底力くんはそんなに簡単には会えません。でも、どんな人にも必ず存在するのが底力君なんですね。

還暦は赤ちゃんに戻るとき・・。次のフェーズに挑むスタート地点に立ちました!

さあて、わが命続く限り、これから何度『底力くん』を引っ張り出せるか!

いまから、ここから、楽しみでしかありません。

最後になりましたが、私と同じ歳で天国に旅立った演出家・夏まゆみさん。彼女の数々の偉業を称え、心より哀悼の意を表します。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その493:スタートが肝心)

少し早い夏休みをいただきました。

愛知県の蒲郡にあるリゾートホテルで2日間。ゆっくりと過ごさせていただきました。

お風呂も施設も大満足でしたが、特に良かったのが食事。

とにかく、

すべてにおいて、『こだわり』が隅から隅までこれでもか!というほど感じられました。

初日の中華、二日目の和食ともに厳選された食材、手の込んだ料理はもちろん、今回、特に感動したのが、お皿と盛り付け。

差し出された一品一品に食材・調理の説明がはいるという、

安い、うまい、はやい!で育ってきた私にとって、きたものを一気にいただく日常とは真逆のシチュエーションに普段なら我慢しきれないところですが、

今回は、そのお皿と盛り付けの一つ一つに眼が釘付けになり、サービスのスピードに全く違和感はありませんでした。

まあ、還暦を迎える年齢になったので、さすがに落ち着きが出てきたといったらそうなんですが、

ことの始まりは、冒頭の写真。

初日の中華で出されたスタートのビールでした。

キンキンに冷やされた銀色のビールグラスに注がれ均等に盛られた泡。
飲むのがもったいなくなるこの秀逸を見た瞬間、これから繰り広げられる一皿一皿の『こだわり』を確認したい気持ちで一杯になり・・

次はどんなお皿にどんな風に料理が盛り付けられて登場するのか・・と最後の最後まで堪能することができました。

この期待は翌日の和食でも継続し、

それを裏切らない様々な『こだわり』に大満足したことは言うまでもありません。

スタートが肝心。

最初から手を抜かないその心意気が、その後に期待を持たせ、『こだわり』を堪能することができました。

還暦最初の夏休みを満喫出来ました。

いまから、ここから、何をするにも全集中です🔥

永瀬義規