「勝って自信をつけ、負けて学び」少しずつ強くなった (日下部)

Vol04

全国の柔道大好き親子&指導者のための情報マガジン
『スポーツひのまるキッズ通信Vol.04』、
もうご覧になりましたでしょうか?

まだと言う方は、全国約3000の道場に無料配布しているので、
道場に通っている方は、ぜひ、一度手にとってご覧ください。
道場に通っていない方は、ひのまるキッズのホームページで、
近々、アップする予定なので、しばらくお待ちください。

ちなみにVol.01からVol.03に関しては、
ひのまるキッズのホームページで、いつでもご覧いただけます。
http://hinomaru-kids.jp/judo/tsushin.php
知っておくとためになる情報がたくさんですので、
ぜひ、のぞいてみてください。

さて、今回のVol.04は、
全柔連の広報委員長・北田典子さんと、
スポーツひのまるキッズ協会代表理事の永瀬義規の対談をはじめ、
ひのまるキッズ講師、須貝等さんと日下部基栄さんのインタビュー、
柔道を頑張っている皆さんにぜひ知っておいていただきたい
水分補給講座や疲労回復の話など、重要情報が盛りだくさんです。

7月の終わりに、須貝先生のインタビューの内容に関して
少し紹介しましたので、今回は、日下部先生のインタビューについて
ちょっと紹介しておきます。

日下部

私が、日下部先生のお話をお聞きして一番驚いたのが、
日下部先生は、小学校に入る前は、1年近く入院しなくてはならないような
病気を患っており、お医者さんからは運動を禁止されていたこと。

そんな日下部さんが、小学校に入るや、
「どうしてもやりたい!」と、
両親やお医者さんに何度もお願いして柔道をはじめ、
「男の子を投げると悔しくて泣くんですよ、それがうれしくて(笑)」と
柔道に夢中な“お転婆娘”に成長。
そして、世界を代表する柔道家になっていったのでした。

普通だったら、そんな大病のあとであれば、
「柔道なんてダメ」の一言で終わっていたでしょう。
そこで終わっていれば、柔道家・日下部基栄は
生まれなかったわけですから、人生というのはわからないものです。

日下部先生のご両親は、心配しながらも
本人の「やりたい」という気持ちを尊重したのでしょう。
最初のうちは、おそらく、柔道に通わせることが、
気が気ではなかったと思います。
それでも、柔道をやったことで身体が強くなり、
そのうちに柔道でも結果が出るようになり。
ある意味、ずっと見守っていた両親の愛が、
日下部さんを大きく成長させていったのだと思います。

柔道王国・福岡の名門、東福岡柔道教室で毎日練習し、
月に1回は試合。
全中では、いまだに、日下部さん一人しか達成していない、
個人戦3連覇の偉業も達成しています。

「私が全中で勝てた理由は、場数だと思いますよ。
小学生の頃から、たくさんの試合に出させてもらって、
勝ったら自信になったし、負けたら勉強になった。
その経験によって少しずつ強くなれたと思うんです」

いま、小学生の試合に否定的な指導者もいると聞きます。
それはそれで一つの考え方だとは思いますが、
日下部さんのように、実際に、試合をたくさんしたことで
成長できたと言う方も少なくありませんし、
目標という意味で、大きな大会での優勝を掲げることも、
モチベーションを高めるためにも、決して悪いことではないと思います。

「負けたとしても、結果だけを一方的に責めたりするのではなく、
親も指導者も、子供と一緒に考えるようにしてほしい」と日下部先生。
最も大切なのは、このことではないでしょうか。

ひのまるキッズ協会 林 毅

須貝等を発奮させた恩師の言葉

sugai sensei

いま『スポーツひのまるキッズ通信 Vol.04』を制作中なのですが、
今回は、スポーツひのまるキッズ講師のご紹介ということで、
須貝等先生と日下部基栄先生にインタビューをしています。

今回は、須貝先生に聞いたお話を少しだけ紹介しましょう。
須貝先生が柔道を始めたのは、中学1年から。
はじめたきっかけというのが面白くて、
小学校時代から一緒に野球をやっていた5人組で、
中学に入ったら何をやろうかと考えたときに、
「野球は走らなきゃいけないけど、須貝は太っていて
走るのはきついだろうから、他の競技にしよう」ということになり、
最後はじゃんけんで、柔道をやることにしたのだそうです。

朝から晩まで一緒の仲良し5人組は、
同時にライバルでもあったということで、
お互いに、「あいつらには負けたくない」という
気持ちを内に秘めて練習をしていたそうです。
1年生のときの柔道部員は、全部で11人。
北海道の田舎(古平町)の中学校で、
柔道がとりたてて強いわけではなかったそうです。
監督の橋本先生は、そんなに厳しくもなく、
怒られた経験もほとんどなかったそうです。
ただ、今になって思えば、橋本先生に
うまく乗せられて、サボることもなく
毎日一生懸命に練習していたことがよかったのかなぁと、
橋本先生にはとても感謝しているそうです。
高校は、柔道の名門、東海大第四高校に入学。
ここで監督の佐藤宣紘に「おまえは、世界一になるよ」と
言われたのだそうです。
「後で聞いたら、佐藤先生はいろんな人に同じことを
言っていたらしいだよね」と須貝さんは笑いますが、
その言葉は、おそらく高校生だった須貝さんを
発奮させたのではないかと思います。

須貝さんは、その後、東海大学に進み、
佐藤宣紘先生の弟、佐藤宣践先生に教わることになり、
大学を卒業した1985年のソウル世界選手権で優勝、
87年のエッセン世界選手権で2連覇を達成しました。

「俺は、先生には本当に恵まれたと思うんだよね。
最初に教わった橋本先生にも、
高校・大学で教わった佐藤兄弟にも、
乗せられて、その気にさせられて強くなった。
本当は、そんなに強い選手じゃなかったんだから。
田舎町に生まれて、たまたま柔道を始めて。
目の前の大会で勝つという
小さい夢を追っかけていくうちに
いつの間にか、全国での優勝が夢になり、
世界での優勝が夢になった。
柔道をやって、仲間に恵まれ、指導者に恵まれた。
ホントに感謝しかないよ」

いつもクールな須貝先生は、
普段はあまり自分のことを話しません。
今回も、俺のことはもういいよとやんわり断られましたが、
たまにはいいじゃないですかとちょっと食い下がって話を聞きました。

平凡なごく普通の、ちょっとぽっちゃりした中学生の
柔道サクセスストーリー。
たしかに、指導者に恵まれたことはあると思いますが、
須貝さん自身に、素晴らしい指導者を引き寄せる
何かがあったからこそ実現したのだと思います。

誰でもできるというわけではないと思いますが、
誰にでも可能性があると感じさせてくれる須貝さんのお話でした。
須貝先生、スポーツひのまるキッズの講師として、
今後もご指導よろしくお願い致します!

ひのまるキッズ事務局 林

優勝は誰!? 今年の全日本柔道選手権はかなり面白くなりそう!

図1

私にとっての4月のビッグイベントと言えば、
12日に終わったスポーツひのまるキッズ関東大会と、
29日に行なわれる全日本柔道選手権大会。

全日本選手権に関しては、かれこれ10数年、
プログラムを制作させていただいており、
今年も、ひのまるキッズと並行して作業をしてきて、
ようやく本日、編集作業がすべて終了しました。
あとは印刷屋さんに頑張っていただき、
大会前日に、無事に出来上がるのを待つばかりというところです。

それにしても、今年の全日本選手権は
面白い大会になりそうですね。

優勝候補として名前が挙げられているのが、
昨年のチャンピオン・王子谷剛志選手(22歳)はじめ、
昨年2位の上川大樹選手(25歳)、
世界選手権2位の七戸龍選手(26歳)、
一昨年2位の原沢久喜選手(22歳)、
昨年3位の西潟健太選手(27歳)
と、なんと5人もいるのです。

ちなみに、身長体重は、
王子谷選手が186cm140kg!
上川選手が185cm160kg!
七戸選手が193cm121kg!
原沢選手が191cm122kg!
西潟選手が193cm130kg!
みんなデカ!!

当日、会場で販売される
大会の公式プログラムでは、
この5選手の直前インタビューが掲載されていますが、
このインタビューが、正直、非常に面白いです。
(自画自賛ですみませんが、たぶん、面白いです……)
一人ひとりに、もっと長い時間お話をうかがえればよかったのですが、
大会前ということで、短時間でさらっとお聞きしています。とはいえ、
選手たちの強さの秘密や今大会への熱い思いは、
十分に伝わるのではないかと思います。

プログラムでは、松井勲先生、金野潤先生、井上康生先生による
予想座談会も掲載されています。
(こちらは講道館発行の雑誌『柔道』5月号でも見られます)

座談会の予想が毎年当たらず、
座談会参加者の先生方が、
試合が進むにつれて
頭を抱えてしまうことでも有名で(先生方、すみません)、
それゆえ、「魔物が棲む」とまで言われる全日本選手権大会。

ちなみに、ここ3年の決勝カード&優勝者予想と
実際の決勝カード・優勝者を比べると、
●平成24年
【予想】決勝/鈴木桂治vs上川大樹 優勝/鈴木
【実際】決勝/加藤博剛vs石井竜太 優勝/加藤
●平成25年
【予想】決勝/七戸 龍vs石井竜太 優勝/七戸
【実際】決勝/穴井隆将vs原沢久喜 優勝/穴井
●平成26年
【予想】決勝/七戸 龍vs原沢久喜 優勝/七戸
【実際】決勝/王子谷剛志vs上川大樹 優勝/王子谷
と、決勝進出者さえも、当たっていないのです。
う~ん、たしかに魔物が棲んでいるかも……。

例年にも増して予想が難しいだけに、
絶対に面白くなりそうな今年の全日本選手権。
お近くの方は、ぜひ会場の日本武道館に。
遠くの方は、ぜひテレビでご観戦ください。
なんか、番宣みたいになってしまいましたが、
今年の全日本は本当に、
かなり面白い大会になる気がします。

全日本選手権プログラム職人 林 毅

柔道の作り出すドラマと「人」の魅力を伝えたい

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日曜日のひのまる社長の絆ブログでも紹介されましたように、
この度、テレビに出演させていただきました。
そもそも、普段は取材やインタビューをする側で
されることにはまったく慣れていない私。
こんな私がテレビに出演していいものだろうかと、
お断りしていたのですが、
今回の番組『The GAME~震えた日~』
「古賀稔彦×吉田秀彦 逆境が生んだ金メダル」が、
およそ四半世紀前のバルセロナ五輪での
古賀選手と吉田選手の物語ということ。
そして、証言できる当時の記者があまりいないこともあり、
あの『バルセロナの奇跡』を現地で見た当事者として、
いまの若い人たちにもぜひ伝えたいと思い、
出演させていただくことにしたのでした。

基本的には、古賀さん吉田さんの横に座って、
ときどきコメントするという役どころではあるのですが、
収録のときは正直、かなり緊張もしましたし、
テレビに映った自分を見るのは、とても恥ずかしいものでした。
改めて冷静に見てみると、言葉の使い方が間違っていたり、
まとまりのない話になっていたり、
やっぱり素人だなぁと、顔から火が出る思い。
とはいえ、番組自体はとても面白い内容に仕上がっていましたし、
お二人から22年前には知らなかった事実も聞かされ、
いち柔道ファンとしても、とても楽しめるものでした。

私が柔道をやっていたのは小学3年生から高校3年生まで。
大学を出て、スポーツジャーナリストになりたくて
ベースボール・マガジン社に入社。
柔道専門誌『近代柔道』編集部に配属された1988年からの約27年は、
いくつか職場を変えながら、記者として、あるいは、
ファンとして柔道に関わってきました。

トップ選手の前で、「柔道をやっていた」というのが恥ずかしいくらい、
選手としては何の実績もありませんし、
偉そうなことを言えるようなものは何もありません。
でも、柔道の魅力、そして柔道に関わる「人」の魅力を語れるだけの、
多くの試合、ドラマを見てきましたし、取材をしてきたつもりです。

これからも「地道にこつこつ」ではありますが、
多くの試合を見て、柔道の作り出すドラマと選手の魅力を
伝えていきたいと思っています。

もちろん、ひのまるキッズ小学生大会での
親子の絆のドラマも伝えていきます!

スポーツひのまるキッズ事務局 林 毅

(写真 BSフジ『The GAME~震えた日~』古賀稔彦×吉田秀彦 逆境が生んだ金メダル 1992.7.31 収録中のワンカット)

「つらさに耐えられたのは、自分で決めたことだったから」

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全国の柔道大好き親子&指導者向けのフリーペーパー
『スポーツひのまるキッズ通信』の第三弾を現在、鋭意制作中なのですが、
今号の目玉企画、「世界王者・海老沼匡選手のインタビュー」を
先日、所属先であるパーク24の道場で行なってきました。

詳細は、来月初旬発行予定(全国の道場に発送します)の
『スポーツひのまるキッズ通信 vol.03』をご覧いただきたいのですが、
ここでは、海老沼選手と話していて印象に残った話を、
少しだけご紹介します。

海老沼選手と言えば、古賀稔彦さんや吉田秀彦さんなど、
多くの一流選手を育てた柔道の私塾・講道学舎の出身であることは
皆さん、ご存知だと思います。
講道学舎の過酷とも言える練習は、非常に有名であり、
私自身も何度か取材に行って目撃していますが、
まさに言葉を失うような内容だったことを覚えています。

海老沼選手が講道学舎に入ったのは、
「オリンピックで金メダルを取りたい。そのために強くなりたい」という
夢があったからだそうです。
5歳上の聖さん、2歳上の毅さんというお兄さんたちが
講道学舎に入っていて、そのお兄さんたちが講道学舎にいたことも
親元を離れることに関して、ハードルを下げてくれていたとは思いますが、
「お兄ちゃんがいるから」という気持ちだけで、
講道学舎の練習、生活についていくことはできることではありません。

まだ小学生だった海老沼選手が講道学舎に入ることについて、
親御さんは、「入れ」とも「入るな」とも言わなかったそうです。
あくまで本人の意志に任せ、海老沼選手の決断を応援してくれたそうです。

海老沼選手は、当時のことを振り返り、
「もしもあのとき、講道学舎に行くことを、
父親や母親、兄たちに勧められて決めていたとしたら、
いまの自分はなかったと思うんです。
講道学舎に入ること、そして、強くなって
オリンピックで金メダルを取るという目標を、
自分で決めたからこそ、どんなにつらいことでも耐えられた。
講道学舎時代、何人かは途中でやめていきましたが、
自分は、講道学舎を途中でやめることなど考えられませんでした。
「やめるときは、死ぬとき」という覚悟を持っていましたから。
実際、練習や生活がつらくて、死のうと思ったこともありました。
でも、そんなとき、耐え抜くことができたのは
それが自分で決めたことだったからです」

12~13歳の子供とは思えない壮絶な決意。
これこそが、海老沼選手が放つ「凄味」なんだなぁと
改めて実感したのでした。

(写真)すごい内容の話を笑顔でさらっと話してくれた海老沼選手

スポーツひのまるキッズ事務局 林

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その23:絆が絆をよび、さらに絆を太くする!)

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第四回スポーツひのまるキッズ中国大会。皆さんのお陰で成功理に終了することができました。

ありがとうございました。

この写真は、前日の懇親会。

中央、私の隣の高村自民党副総裁を始め、全ての関係者が実は私、もしくはひのまるキッズの絆以外で何かしらの絆を持っているという偶然が発覚しました。

柔道、中大、周南、ビジネス…。

全員が何かしらの縁を複数ずつ持っているってなんかスゴいですよね、会の司会をしていて鳥肌がたってきました(^-^;

絆が絆をよび、さらに絆を産む…。

まさに、ひのまるキッズならではのエピソードでした。

いまから、ここから、ひのまるキッズで絆はさらに太くなります!

感謝です!

永瀬 義規

オリンピック3連覇・野村忠宏選手インタビュー

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こんにちは。

先日、野村忠宏選手を取材する機会がありました。
取材のテーマ自体は違ったのですが、息子さんの話や自身の子供時代の話をお聞きすることが
できたので、ちょっとご紹介したいと思います。

【息子の出た柔道大会を見て感じたこと】

「小学2年生になる息子の柔道大会の応援に行った時に気になったのが、
一部の親や指導者のヤジというか、声援とは思えないような汚い言葉でした。
柔道は勝負ですから、もちろん、勝つことも大事だと思います。
でも、子供の時というのは、勝つことよりももっと大切なことがあると思うんです。
柔道を通して何を学ぶか――。素晴らしい指導をされている先生方もいらっしゃると思いますが、
個人的には勝負に勝つことよりも、柔道の良さ、素晴らしさというのを伝えてほしいと思います。
試合に勝つことだけにこだわりすぎて、大切なことを伝え忘れているんじゃないかなと思うんです。
子供にしても、自分が楽しくてやっているのか、
親や指導者に使命を与えられてやっているのかわからない。
試合に負けて、先生やお父さんに怒られるというのもどうかなぁと思います。
負けて悔しいとか、勝ってうれしいというのを知ることは大事だと思いますけど、
それ以上に、柔道は楽しいと思うことが一番だと思うんです。
柔道は楽しい、柔道が好きだという気持ちがあれば、中学や高校へ行って、
ちょっとくらいつらいことがあっても頑張ろうと思えますしね」

【野村選手自身の子供時代】

「いろいろなトップアスリートが『私も小さい頃弱かったですよ』なんて言いますけど、
自分の場合、リアルに弱かったですからね(笑)。子供の頃なんて本当に負けてばかり。
高校3年生の時に初めて県大会で優勝して、初めてインターハイに出ましたけど、
この時も予選リーグで負けました。
柔道に関して言えば、オリンピックに出るような選手は、
中学チャンピオン、高校チャンピオン、大学チャンピオンと王道を歩んだ選手、
いわばその世代のチャンピオンだと思うんですよね。
でも、そうじゃない自分がなぜ柔道を続けられたのか。
子供の頃から強い選手というのは続けられると思うんですよ。
でも、弱かった自分がなぜ柔道を続けられたかというと、子供の頃に厳しい指導、
勝負にこだわった指導じゃなくて、柔道の良さとか楽しさを、
爺ちゃん(※)から伝えてもらったのが大きいと思うんですね。
(※野村選手の通っていた豊徳館野村道場の指導者でもある祖父・彦忠さん)
『小学校の時に、鍛えて鍛えて強いからなんやねんって、ゴールはそこじゃないよ』と。
小学生のうちは柔道を通して、礼儀であったり、一緒に練習している先生や仲間との絆であったり、
あとは、それこそ柔道の基本や感覚。強い弱いじゃなくて、組み合う感覚、投げる感覚、
投げられる感覚を身に付ける。そこでしっかりと土台を作って、
そのあと、中学、高校に進んで本格的に競技者としてやっていく中で、
強さというものを求めていけばいいと思うんですよね。
自分の息子が柔道していて嬉しかったのは、『柔道楽しい。柔道大好き』って言ってくれた時。
今はそれが一番だと思っています」

野村忠宏選手のコンディショニングなどに関するインタビューは
7月末発行の『スポーツひのまるキッズ通信(道場向けフリーペーパー)で掲載します。
後日、スポーツひのまるキッズのホームページでも掲載する予定です。お楽しみに。

 

 

元柔道世界チャンピオンが語る「親のための教育論」・後半

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こんにちは。先日の須貝先生のお話し、大変好評でした。
予定を早めまして本日後編をお送りします。

–ということは親の教育が必要ということになりますか?
「先生が本気で怒るのが難しくなっている。反面、親は子どもが可愛いとは思うのに、
学校に全部任せている。そのくせ学校でなんかあったら学校に文句を言いにくる。
そういう人が増えましたよね。僕らの小学校は、自転車乗るのに免許があったんです。
悪い乗り方をすると減点されていって最後には自転車を没収されちゃう」
–免許じゃなくて自転車を、ですか?
「そう。で、家に歩いて帰るけど、親に言えなくてね。学校で怒られて、
また家でも怒られると思うと言えない。でも『自転車どうした?」って言われると
正直に言わないとならない。んで案の定こっぴどく怒られて、それで親と一緒に学校に
謝りに行く訳です。でもそれが普通だった。今は逆になってる人もいますもんね。
どうしちゃったのかな、と思いますよね。甘いというかね。子どものためを思えば叱る時は叱る。
うちは女の子が中学生になっても悪い事した時は殴ってましたよ。
それでも今は友達みたいになってますからね。素直に育ってくれたというか。
親が『子どもにこれを言ったら傷つく』とか気を使う人もおかしいと思いますよね。
今、僕が親になって、まあ子どもの頃に親にガミガミ言われたあのときの親の気持ちが
分かってきましたよね」
–小学校からスポーツを、というのはいかがでしょうか。
「まあ僕の場合は中学校から柔道だけれども、体もだけど心も鍛えられましたよね。
あまりに辛くても目標があればがんばることができる。それの達成感が得られて成長するとか、
苦難から逃げ出さない精神力を養うのにスポーツは最適だと思いますよね。
それでもまあ親が子どもに押し付けちゃならんと思うのです。子どもがやりたいと思う事が
あれば導いてあげる。その導きが親の仕事だと思うんです。それには普段からコミュニケーションを
うまく取ってることが大事。『ヤンキースの松井選手って凄いね』
『うん、アメリカでこれだけ選手がいるなかでね』とか『お父さん、サッカーってどう』
『外国の誰それという選手はボールをこんなふうに蹴って凄いね』とか
そうやって興味を持った方に会話を通じて楽しく導くべきなんです。
やるにしても「ただやれ」とか「なんかやれ」ではね。それも先生に任せてしまうのと一緒ですね」
–礼儀とかの面でもやはり柔道がおすすめになりますか?
「いや何の競技でもいいんです。やった努力が心を鍛える。
苦しい思いして、挫折したい、近道を歩きたい、と誰しも思う。今仕事してたって僕ら思いますよね。
でもこれまで言ったように目標を作ってそれを乗り越える。
順位とかは、これはなんでもしょうがない。たまたましょうがなく付けられるもんであって、
頑張る事に意義があるんですよね」
–須貝さんの教育論は、やはり3人のお子さんを育てる中でできたんですか?
「私だって、最初は子育てなんかしたことありませんでしたからね。
見よう見まねでこれがいいかと思ってやってきましたけど、でも間違いは誰しもするんです。
子どもも先生も親もする。「あー間違ったなあ」と思ったら、修正できる。
それに気づいて修正できる親になりたいと思いますよね。
こう言ってても、家では親バカで甘い部分も多々あります。
それでも素直に育ってくれていて、それは良かったなあと思っていますよ」

どうでしょう? 世界の頂点を極めた柔道家でありながら大変気さくで、どこにでもいる
普通のお父さんの感じもしますが、さすがに芯の一本通った教育理論をお話し戴きました。
みなさんの参考になりましたでしょうか。ご意見を頂ければ幸いです。

オマケ・先生がロス五輪金メダリストの河亨柱を、1985年のソウル世界柔道選手権決勝でやぶり、
世界チャンピオンになったときの映像を見つけました。
よろしければぜひご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=KiPDg7QvSLs

元柔道世界チャンピオンが語る「親のための教育論」・前半

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こんにちは。

今週から月曜日はインタビュー・対談をお送りしていきます。
第一回はひのまるキッズ講師陣でいつも御指導戴いている、
柔道95kg級世界選手権2連覇の須貝等先生にお話しをお聞きしました。
先生も、成人の方を筆頭に3人のお子さんを育てた一人の保護者です。
今日は柔道の技やテクニックではなく、「先生がどんなお子さんだったか」
「親になってどういう子育てをしてきたか」をうかがいました。
どうぞご覧ください。

–まずはご自身の子どもの頃の思い出を。昔から強かったんですか?
「まあ体はどっちかといえば大きい方だけど、ポッチャリしててね。
自分の場合は中学校から柔道を初めて、北海道の田舎だから同級生も少なかったしね。
野球やりたい気持ちはあったけど、友達が走るのは嫌だというんで、
なら走らなくていい柔道にするかと決めたんです。
元来負けず嫌いな性格で勝ったり負けたりで、あいつには負けたくないというので
がんばって一緒に競い合ったのが良かったんでしょうね。
そのうち楽しくなってきて、それがきっかけといえばきっかけです」

–中学校時代は世界チャンピオンになるんだ、と思ってやってましたか?
「まあ楽しくなってくればなんでも一番を目指したがるものです。
楽しいから夢が持てる。北海道から出たことはなかったけど、一番になりたいなあ、
とはおぼろげに思っていました。それで高校に入ったら、日本でも最高レベルの先輩たちがいて、
2年生になれば自分も全国大会でタイトル取ったり、表彰されたりもした。
もう少し頑張れば日本一、いや世界一もあるなと目標ができたんです。そんなに遠くないな、と。
僕が思うにはなんでも目標が大事。苦しさと目標と天秤にかけて、
目標があれば苦しくても耐えることが出来る。ただ『走れ』っていって走っても目標がないから、
面白くないし成績ものびない。『あと何kmでゴールだ』とか「あと何秒でこの成績だ』とか
わかるから頑張れるんですよね。それは何事でも一緒だと思いますよね」

–今の子どもたちを見てどう思われますか?
「まあ僕らが子どもの頃だって、『昔の子はこうだった』って言われましたからね。
それはいつの時代でも言われるんだと思いますよ。時代背景が違う。
僕らは子どものころ仮面ライダーカードとかで遊んだんだけれども、もっと昔はそれがなかった。
今だってゲームあったりして、そればっかりになるから言われるんですよね。
でもそれは時代背景というのを考えて。その時代にあった育て方を親が考えて実践しないといかんと
思うんですよ。子どもを導くやり方。時代がこうだから、と言って
親がそれを言い訳にしてるようではだめだと思うんですよね。
遊ぶにしても時間とかメリハリをつけて、時間守れなかったら本気で怒る。
できたらほめる。それもまたメリハリです」

(来週に続きます)