いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その485;生まれる前から参加していただいてました(笑)!!)

お疲れ様です。
代表のブログにコメントが入っていましたので共有します。

出張先のグループラインに柔道プロジェクトリーダーから送られたそのコメントに、移動の電車車中にも関わらず、あまりの感動でこみあげてくる熱いもので危なく眼から大汗をこぼすところでした💦

それは、

ここの独り言(その481)でご紹介した女の子のお母さんからのコメントでした。

生まれる前からひのまるキッズの大会に参加(?!)しています。
この春大学生になったお兄ちゃんがその昔…。
体が小さくて、なかなか勝ち上がれませんでしたが、受け身コンテストを始め、柔道界で活躍されている先生方に直接の指導をうけられたり、ポカリスェットをたくさんいただいて丸一日楽しみました。

瑶は今中2のお姉ちゃんのひのまるの試合で大阪はもちろん横須賀や、富山へ行ってはヒロくんの目の前でのパフォーマンスを楽しみにしていましたが、今回は初めて柔道の試合でした。一回戦敗けでしたが、ふと七夕のような栞のブースを見て、「書いてみよ」と、応募しました。

最後帰ろうとしていた時に、放送で呼ばれたので、何かイベント会場に忘れ物かと思っていたら、素晴らしい賞をいただくことができ、ウキウキで帰路に着きました。

本当にありがとうございます。
勝つことだけが目的ではなく、柔道の本質が学べる良い時間でした。もちろん次回も必勝…。頑張ってもらいます。

お兄ちゃんのひのまるキッズではお腹の中で参加
お姉ちゃんのひのまるキッズでは、パフォーマーのヒロさんとの時間を堪能し、
試合初参加の今年、初戦負けでしたが・・・

というこの内容を何度も何度も読み返し、出張先でお会いしたクライアントはもちろん、会う人すべてにこの文章を見せ、関係者にお知らせしてしまいました。

常々、

参加した選手が、柔道を続けてくれて中学・高校で係員で大会を支えてくれ、さらに強くなったら今度は講師として戻ってきてくれるのが、最初の目標。

と言っていましたが、それは5月の関東大会で叶います。

そして、

次のフェーズとして、参加した子供たちが親になって再びひのまるキッズに参加してくれる姿を見届けることができれば本望と思っています。

ただ、今回、思いもしなかったこの場面に遭遇できて、改めて続けてきて良かった・・と心底思います。そして、今度はどんなことに遭遇するか・・楽しみでしかありません。

継続は力なり

続ければ必ず良いことはありますよね。幸せです。

この山田遥ちゃんの標語コンクール作品、参加した講師、関係者が選ぶ今年度の年間大賞を見事受賞していました。あらためておめでとうございます!!

いまから、ここから、やる気が・・・出まくりです🔥

永瀬義規



いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その481:まけたけど イベントぜーんぶ たのしむぞ)

第12回スポーツひのまるキッズ近畿小学生柔道大会お疲れ様でした。今大会は初参加の子供達が多く興味深く見てくれ、保護者の方にも積極的に参加してもらい、コロナを超えて新たなるステージに突入したと感じました』

先週末、無事に4年ぶりのフルスペック大会となった近畿大会を終了させた翌日、これまでのひのまるキッズに間違いなく私に次ぐ参加をほこるパフォーマーのヒロさんからきたメール。


今日、初めて参加の人!!

と聞いたら800人の参加のうち三分の二以上は手を挙げた事実を裏付けるその言葉を納得するとともに、あいさつ回りに同行していた青野理事とも「今回のひのまるキッズはいつも以上もパワーを感じたよね!」と話したその訳が分かったような気がします。

それは・・

ひのまるキッズは

親子の絆を深め
子と夢をつなげる

テーマパーク。という概念が、初めてだからこそ素直に受け止められたということ・・だと。

その証拠に、イベント会場は終日満員御礼! ブースも人の足が途絶えることは無く、会場は朝から晩まで親子の笑顔でいっぱいでした。

そして、冒頭の写真。

今年度から始まった『標語コンテスト』で見事最優秀賞を獲得した1年生の山田さんの作品

まけだけど
イベントぜーんぶ
たのしむぞ

やられました!!

さらに、表彰式のお手伝いをしてくれた近畿大学の女子柔道部の学生に

『私はひのまるキッズ何度か出場させていただき、九州大会では優勝も経験しました。でも、あの時、こんなイベントがあるのを知っていたら出たかったです。受け身コンテスト!いいですねぇ』

という言葉にあるように(決勝までいくとイベント参加のチャンスがないことはありますが・・)、ひのまるキッズに何があるのか、どんなことで楽しめるのか、楽しんで良いのか・・

もっともっと、ブランドを高め、様々な方法でそれを発信していきたいと思っています。

親子で燃えて
親子で喜んで
親子で泣いて
ひのまるキッズを通じて親子の絆を実感できたように思います
6年間お世話になりました

大会をアップしたFBに寄せられたご父兄からのお言葉・・・。

宝物です。

いまから、ここから、そう、微力だけど無力ではない。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その454;見守る)

久しぶりの有観客で訪れた東京学生柔道優勝大会。

あの怒涛のTOKYO2020以来、日本武道館に足を踏み入れたのは先月の全日本選手権以来。まだ、下に降りる気がしなく、じっくり観客席から見守らせていただきました。

我が母校は、

東海大学に6-1と完敗。

残念ながら力の差は歴然。

FBは『思い出』という非常にいいページがあり、私の場合は2012年からのその日の投稿がアップされ、それを見て振り返り、反省したり懐かしがったりしているのですが、ここ数日、東京学生の過去の投稿がアップされるたび、

いつも、いつも、

『後輩にもっと何かできたはずだ!』『悔しい!』

を連呼していて、正直、今回もそうなるだろうな(後輩には失礼ですが)と思っている自分がいました。

でも、今回はこれまでと少し違う思いでこれを書いています。

数年前、中大柔道部創立以来初めてのオール一本負けを同じ東海大学に味わった時と同じような終わり方をするのかなぁ・・と思っていたところ、大将が最後の最後で目の覚めるような一本を決めてくれたからか・・でしょうか?

試合が終わっていつもはすぐ直後に監督と叱咤激励をしていたのですが、それをせずに観客席でそこに上がってきて挨拶に来てくれた数名の選手たちの顔を見たとき、悔しさも怒りも感じることがなく、

ただ、

ご苦労さん、全日本で頑張ろう!

と心の底から素直に言葉をかけることができました。

たぶん、それには訳がありました。

後輩たちが挨拶に来るほんの少し前に久しぶりに会話できた親子の姿がそうさせたのだと思います。

日大3年生で、今年の全日本選手権にも出場した石村君とお父さん。

ちょうど私のすぐ後ろで友人(と思った)と談笑していたので、思わず『石村君、久しぶり!!でっかくなったなぁ!!』と声をかけたところ、

『おお!社長、お久しぶりです!』と満面の笑みで話しかけてきたのが、隣にいた友人・・ではなく彼のお父さんでした。

そう、かつてひのまるキッズに今は高校生の弟と三人で親子出場してくれていた名物ファミリーとの再会でした。

そんなに長い時間ではありませんでしたが、二人の関係があの時と全く変わらず、それが本当に嬉しかったのです。

この親子の会った後に来た後輩に対し、たぶん私は親のような気持になっていたのかもしれません。

子がいない私が言うのもなんですが、

それはまさに、

見守る

という言葉がピッタリ。

『あなたはいったい何人の子供たちを見守っていたんでしょうかね・・。そして、これからもよろしくお願いします』

会場を去るときに見上げた日章旗に思わず話しかけてしまいました。

いまから、ここから、見守るべく対象の多さにワクワクです!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その450;家族の笑顔につながる喜び)

4月29日、三年ぶりの有観客、日本武道館で開催された全日本柔道選手権大会。

「今年の全日本選手権はプログラムを見ても本当にワクワクしますね。なぜなら、これまでにくらべものに無いほど知っている顔がいますので!!」

大会前に幹部スタッフから言われ、よくよく大会パンフレットを見ると、本当にその通り! 

以前は「ひのまるキッズ初の全日本出場!!」などと喜んでいましたが、ここ数年でその数は倍増し、参加経験者だけではなく、講師として指導してくださった選手、各地で大会運営に携わっている柔道連盟の先生、さらにはご協賛企業からも審判員にて参加の柔道家の姿がありました。

私個人的には、

かつてひのまるキッズに参加してくれた時の顔が思い出せる選手を見つけては、その試合成績に一喜一憂していました。声を出しての応援が禁止だったので、一生懸命拍手を送ったせいで手のひらが真っ赤になったくらいです。

さて、

試合はご存知の通り、斉藤立選手が並み居る強豪を破り、決勝もこの日好調の影浦選手をゴールデンスコアの末、最後はしっかりと大外刈りで技ありを奪っての優勝! 用事があり途中で帰宅したため、テレビに向かって思う存分、声を上げて声援ができ、試合が決まった瞬間、

斉藤先輩! やりましたね!!! おめでとうございます!!!!

と叫んでしまいました。

このブログでも何度もご紹介したように、故・斉藤仁先生は、ひのまるキッズに何度か足を運んでいただいておりました。

講師としての参加ではなく、

立君のご父兄として、奥様の三恵子さんと親席で・・・。

心配そうに子供の試合を見つめる三恵子さんの横で、目立たぬように(目立ってましたが(笑))、本人にとっては最小限の身振り手振りで指導をする先輩の姿。今からちょうど10年前のひのまるキッズ東北大会5年生の部決勝戦のワンシーンに(何か見てはいけないものを見るような気持ではありましたが)、その姿にとても熱いものがこみ上げてきたことを昨日のように覚えています。

今も、この写真を見るとその熱いものでいっぱいになります。

表情は真逆ですが、自分の子どもを懸命に応援する親の姿。

もちろん、勝負に対して非常に厳しかった先輩でしたので、立君からすればとても怖い存在で、ある時は道場に行きたがらなく、三恵子さんが送り迎えしたそうですが、ただ怖いだけで育ったなら、全日本の大舞台でのあの礼節、対戦中、相手の顔をついた時などに時より見せる謝罪の仕草は生まれなかったと思います。

間違いなくこれは斉藤先輩が亡くなってから、三恵子さんが厳しく、そしてたくさんの愛情をもって育てた結果身についたものだと思います。また、兄・一郎君の存在も大きかったとことでしょう。

そういった意味でも、今回の日本一は、家族の絆によって手にした宝です。

冒頭の写真。翌日のスポーツ紙紙面を飾った素晴らしいショット。

10年前に不安そうにしていた三恵子さんの満面に一杯の笑顔は、家族の絆がもたらした最高の宝物です。そして、家族の眼には斉藤先輩の「よくやった!」という笑顔も映っていたと思います。

最高ですね!

最後に、昨年発行された『スポーツひのまるキッズ通信~東北大会10年の軌跡~』にて、三恵子さんにいただいたコメントをご紹介します。

はい、今度はお孫さんと、おばあちゃんとしてのご来場をお待ちしています!!

いまから、ここから、家族の笑顔につながる喜びをかみしめて!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その400:あきらめない、あきらめない、必ずできる)

池江さん

正直、この結果が訪れるのはもっと先のことだと思っていた。

努力は必ずむくわれるんだ

自分をほめてあげたい

白血病から復帰し、競泳日本選手権で4冠を飾った池江璃花子さん。

もう、言葉にならないくらいビックリしたし、本当に最高の感動を与えてくれました。

正直、オリンピックに携わる一人としても、こんなに本番を楽しみにする気持ちが生まれるかと思うほどワクワクし、開催を望むようになってきています。

努力は必ずむくわれる、とはむくわれた人だけが言える言葉。

でも、むくわれると信じて人一倍、自分が持てるすべてを尽くして努力をしなければ、それを手にすることはできません。

そして、どんなに努力をしても叶わないことはあるということは現実にあります。

54歳と53歳、共に癌で亡くなった斉藤仁と古賀稔彦。この二人が病気克服のためにどんなに努力をしたであろうかは、何をかいわんや、です。

関東大会の冊子を作っているときに話ができた稔彦。

6年生表彰・稔彦&息子

近畿大会の冊子を作っているときに過去の写真でまた目の前に現れた斉藤先輩。

第2回・斉藤ファミリー

己ができることは、この二人が子供に夢を託し、親子の絆を深めることができたこの『ひのまるキッズ』を、将来、その子供たちが我が子とこの舞台に戻ってきてもらえるように、ただひたすら、愚直にやり続けることだと思っています。

そのシーンを見たときに、

私が、そして今のスタッフが『やっと出来た!』と初めて言えると確信しています。

それまでは、仮に倒れることがあっても、その時は前のめりで、後から来る者たちが前に進みやすいように踏み台になる覚悟はできています。

400回の独り言。

天国の先輩、後輩に笑われないように、心に刻みます。

いまから、ここから、その日まで。

永瀬義規

 

 

 

イベントスケジュールと事務局営業日のお知らせ(2021年3月)

新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、延期しておりました大会を
次の通り開催することとなりました。

◇第10回スポーツひのまるキッズ近畿小学生柔道大会(6年生限定大会)
⇒ 3月14日(日)
◇第12回スポーツひのまるキッズ九州小学生柔道大会(6年生限定大会)
⇒ 3月20日(土・祝)
◇第12回スポーツひのまるキッズ関東小学生柔道大会(6年生限定大会)
⇒ 3月28日(日)

それにより、事務局の営業日を一部変更いたします。

関係者の皆さまにはご迷惑おかけいたしますが、ご理解いただきますよう
お願いいたします。

詳細は、こちらからカレンダーをご確認ください。

(画像をクリックすると詳細がご覧いただけます⇩⇩⇩)

事務局営業日カレンダー202103

※事務局営業日については、カレンダーをご参照ください。
※イベント設営・運営日につきましては、お電話でのお問い合わせや、メールの返信   はできかねます。
※お電話での受付は、営業日の10:00〜16:00とさせていただきます。
TEL 03-6261-0503
FAX 03-6261-3154
E-mail event@hinomaru-kids.jp

※スケジュールに変更があった場合には、随時お知らせします。

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その376:25年前のバカ息子の話)

20日に58歳になりました。

多くの皆さんからのお祝いメッセージ、ありがとうございました。

そして、23日は父親の命日でした。12年前、享年71歳でした。

ふと、

親父が58歳の時、私は何をしていたんだろう・・・。

と思い返してみました。

今から、25年前の1995年。

アメリカから帰国して2年後。幕張で開催された世界柔道選手権大会の事務局次長という重責を任せられ(このために帰国)まさに昼夜を問わず大会開催に没頭・・していました。確かに。

33歳でした。

自分自身が培った全てを大会成功に向けて注ぎ込み、翌年のアトランタ五輪日本選手団入りも打診され、まさに絶好調でした。調子ぶっこいていました。

ただ、今、振り返るとその時の父親に対してどういう感情を持っていたかというと、正直、もう終わった人・・というものだったように記憶しています。

当時、父はそれまでの事業のほとんどを整理して(私が継承しなかったこともあり)、小平の実家のそばにある、創業一号店のお弁当屋さんを母と二人で守り、静かに暮らしていました。

数カ月に一度、実家を訪れ、お店で仕込みをしている父親の姿を見て、早く引退させてゆっくりさせたい・・と口では言っていたものの、今から思えば、先ほど述べたように『もうその仕事は一段落してもいいんじゃないか』という(上から目線の)気持ちの方が強かったというのが本音でした。

58歳。

以前にも書きましたように、私の記憶の中では12時まで働き、2時に起きるという生活を続け二人の子供も育て上げた父。アメリカに遊びに来た時『定休日以外で休みを取ったのは初めてだね~』と母親とニコニコして語ってから数年後の父親の姿に、『まだまだ働き盛り』とは正直感じませんでした。

厨房で包丁を丁寧に研いでいる後ろ姿を見るたびに、

もう大丈夫だよ。やめていいんじゃない・・

と思っていました。

恥ずかしながら、当時はとにかく自分がこの世界を動かしているんだ!みたいな妄想にかかり、親の面倒は自分が全部見れると過信していました。それはその13年後の会社設立まで見事に続きました。父が亡くなったのはその年でした。

心臓で入院し、その時に発見された大動脈瘤の手術を受けて成功したものの、明日退院という日の前日の急逝。

母の話では、亡くなる日の前日、仕事の打ち合わせをしているときも『まもなく、退院だからその時に・・』という指示をしていたと聞きます。

一番信じられなかったのは、父、本人だったと思います。

息子に『もう終わった人』と思られてから13年間。その生活を一切変えることなく逝った父。

学生時代はベンチャーの走りのようなことをして羽振りの良かったものの、子供(私と妹)ができたことをきっかけに弁当屋を始め、前述したように働きづめで子供たちを育て上げた父。人生のほとんどを子供を養うために費やした父。

我々が巣立った後、どのような気持ちで働いていたのか、特に58歳から亡くなるまでの13年間、どういう風にモチベーションを保っていたのか、母も亡くなった今、それを聞くことはできませんでした。

しかし、先日、誕生日祝いの電話をしてくれた叔父(父の弟)にその話をしたとき、「馬鹿だなぁ、兄貴はお前の成長のことを話す時が何よりも幸せそうだった。姉さんも一緒。だから、お前がどう思おうと、いくつになろうと死ぬまでお前自身が兄貴たちの働くモチベーションだったんだよ」と言われました。

絶句でした。

58歳の私、まだまだ志半ばです。やり切っていません。

たとえその志を成し遂げられなくても、少なくても、後から来るものがそれを成し遂げられるようレールを敷いていく。それが、25年前、何もわからなかったバカ息子の親孝行だと思っています。

いまから、ここから。愚直に己を尽くすのみです。

長い文章失礼しました。

永瀬義規

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頑張れ花川くん58

皆様、大変お久しぶりです。

花川です。

投稿しなさ過ぎていなくなったと思った方もいるかもしれませんね。

すみませんでした。

安心してください、現在も全力で頑張っております。

というか、環境もがらりと変わり今が一番頑張っているといっても過言ではないです笑

最近、私の人生の中で一番うれしかったこと、一番悲しかったことが同時に訪れ、色々と忙しくもなりご無沙汰となってしまいました。←言い訳

また、めちゃくちゃネットに弱くメールもろくにできない私の父がこのブログだけは欠かさず見てくれて「面白いな!」と言ってくれていたのでこれからも面白いブログを書けるよう頑張っていきますので皆様よろしくお願いいたします!

 

まずは来週の東海大会!こんな時期で色々と壁を乗り越えなければいけないことがたくさんですが、出場してくれる参加者のために全力で突っ走りますよ!

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その350;今回の事が無かったら②・やっと言えた『ありがとう』)

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私が子供のころ、仕出し弁当の事業を興した両親。

正直、『弁当屋の息子』と言われるのが嫌でした。

なので、事あるごとに、

『父さんは早稲田大学時代に起業し、日本女子大でモデルの母さんと学生結婚したんだ!』

なんて、わけもわからず友達に言っていた覚えがあります。

もちろん、事業を拡大し、二人の子供を育て上げた両親には大人になって尊敬の念を持つようにはなりましたが、

子ども二人とも家庭を持って独立し、もうそんなに働かなくてもいいのに・・となっても、早朝より仕込みをして、店を切り盛りする両親がいました。

時々(本当に年に数回)帰省すると、ひび割れてガサガサになった手にクリームを塗りながら私の仕事の話を熱心に聞く父親の姿を見て、『何ももうそんなに働かなくても良いのに‥』と心の底で思っていました・・・・。

思い起こすと、厳格で特に私にとって非常に厳しかった父親の手の思い出は、温もり、というよりガサガサというイメージしかありませんでした。当時はそのガサガサが父親との距離を縮めることができなかった要因だったとさえ思えます。

コロナ感染防止対策でテレワークになり、1カ月以上、ほとんどの時間を自宅で過ごしています。

うがい、手洗いをこまめに実行し、感染防止に努めていると、肌の弱い私の手はみるみる赤くなり、カサカサになってしまいます。

そんな中、パートナーが私のようなタイプ用のハンドクリームを買ってきてくれました。

それをこまめにつけるようになり、手肌の調子はすこぶるよくなってきたのですが、最初、その匂いを嗅ぐととても懐かしい思いがすることに気づき、ふとそのクリームを見てハッとしました。

そうです、それこそ父親がガサガサの手に擦りこんでいた・・あのクリームだったんです。

たった数回の手洗いで肌荒れを起こす私の遺伝子は彼から受け継いだんだと思いました。

そして、数回の手洗いでこんなになるんだから、朝から晩まで水を扱う仕事をしていた父親の手があんなにガサガサになるのは当たり前。

俺はなんてことをしたんだ。

あの時、オヤジの手をもっと握ってあげればよかった。

あの時、もっと効くハンドクリームをプレゼントすれば良かった。

これを書いている今でも、その気持ちはドンドン湧き上がってきて込み上げるものがあります。

こんな事がなかったら

あの時の父親の手がガサガサだったことを思い出せなかった。

こんな事があったから

心から言える。

父さん、ありがとう!

昨日は、生きていれば83歳の父親の誕生日。私が起業した年に亡くなったので、もう12年になります・・。やっと言えました。

いまから、ここから、いま、を惜しみなく生きる。

永瀬義規

 

 

 

 

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その347;何度も立ち上がります!子供たちが輝く場所を守るために)

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柔道の関東大会をはじめ、
兄弟で毎年大会に参加させていただいています。
前日練習からトップレベルの先生方に
高い技術を教えてもらい、子どもたちも大会を楽しみにしています。
現在の日本の状況を見ると
柔道の大会を開催するには厳しい状況ですが
我が家の兄弟は再びひのまるの畳に上がり
上位に入賞することを目標にトレーニングに励んでいます。
景気にも影響するほどのコロナパワーですが
子どもたちが輝く場所を守るために
お互いコロナに負けず頑張りましょうね
感染者増大の暗いニュースが続いており
思い立ってもいられず、メールさせていただきました
失礼します

先日、スポーツひのまるキッズ事務局に届いた一通のメール。

感動で固まってしまいました。ありがとうございます。

私たちは

スポーツで

親子の絆を深め、子と夢をつなげる

テーマパークを創造する。

職人だと自負しています。

そのことに己の全てをかけ、プライドを持って仕事に取り組もう! と言い続けています。もちろん、自分自身にも。

ひのまるキッズ六訓

その基本となるものが、

ひのまるキッズ六訓

そうです。

当たり前のことを当たり前にするための六つの心得です。

では、今、当たり前のこととは何でしょうか?

コロナウィルスに感染しない、移さない

そのこと以外に何があるでしょうか?

子供たちが輝く場所を守るために

我々ができること。まだまだたくさんあります。

絶対倒れません。

いまから、ここから、起き上がり達磨となります。修羅のごとく。

永瀬義規