いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その458;勝利至上主義が赤面する本との出会い)

物事には全て、そこに至る、そうなる理由(わけ)があります。

もちろん、偶然そうなった場合もある、けど、だいたいは時が経つとそれが必然だった気付くことも少なくない。

このところ、

その理由を聞いて(話して)、その意義に痛烈に感銘することが二度ありました。

まず、一つ目は、

盟友、村上晃一氏の著書『ノーサイド 勝敗の先にあるもの』を読んだとき。

実社会で活躍しているスポーツ選手で、ラガーマンが非常に多い理由(わけ)を納得させられました(悔しいですが・・・)。

ベースボール・マガジン社時代、一つ下で入ってきた彼とは、当時では極・珍しいバリバリの『体育会』出身者ということで気が合い、本当に濃~い数年間を過ごさせていただいた仲。
お互い、退職し、それぞれの道を歩んでいる今もちょこちょこ連絡は取り合っている盟友です。

彼の作品が、神奈川県の「第39回夏のすいせん図書」小学5年生、6年生の部に選ばれたということで、さっそく買い求め読ませていただきました。

正直、

もし、還暦間近で、そこそこの人生経験を積ませていただいた私に今、幼い子供がいたら(あ、孫でも良いのですね(笑))、間違いなく、ラグビーをやらせる!

と思ってしまうほどの、ラグビーというスポーツに関わっている人たちの素晴らしさが真っ向からドーンと伝わってくる逸品でした。

まあ、これ以上褒めて村上が調子に乗ってしまうと腹が立つのでここまでにしておきますが(笑)、とにかく、読んでみてください。

特に

全国の柔道指導者の皆さん、ご父兄の方々・・・

勝利至上主義が云々いう人、言わない人、みなさん!

読みましょう!! 読んでください。絶対に無駄ではありません!!!

本の内容はただただ・・

高校ラグビーには引き分けがあり、引き分けたら次の進出はくじ引きで決める。

にまつわるお話です。

詳細は読んでいただくとして・・・、
作品の最後はこう締めくくられています。

勝敗を争うからこそ、感動的な引き分けがある。勝利を目指すのは必要なことだ。しかし、スポーツの価値はそれだけではない。なんのためにスポーツがあるのか、なんのためにスポーツをするのか、スポーツをする人、見る人、支える人が大切にしなければいけないことは何なのか。
東福岡と東海大大阪仰星の引き分けが、それを教えてくれた。

悔しいけど、最高です! あと10回は読み返すつもりです!

あ、二つ目・・・、ですが、
それは、

なぜ、中央大学柔道部の胸には大学の名前がないのか??

我々の誇りの話。初耳の学生には響いたと確信しています。

理由を知りたい方は、コメントで(笑)!!

いまから、ここから、学びはまだまだ続きます。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その457;嬉しいこと言ってくれるなぁ・・(笑))

昨日、今日と日本武道館にて開催された全日本学生柔道優勝大会。

コロナ禍で思うように活動できなかった全国の学生たちにとって待ちに待った晴れ舞台。

我が母校は、ベスト8をかけて、ここのところ負け続きだった明治大学に逆転勝ちしたものの、次の日本体育大学には完敗。

でも、久しぶりに見ごたえある試合を展開してくれた後輩に感謝の気持ちでいっぱいです。

さて、

大会は、下馬評通り、東海大学と国士舘大学の決勝となり、1対1で勝負がつかず、代表戦で日本柔道90㎏級の若きエース・村尾三四郎(東海)と今年の全日本王者・斉藤立(国士舘)が相対。

全国の柔道ファン待望の好カードは、勝負がつかぬままGSに突入し、15分近い激闘の上、村尾が斉藤を抑え込んで一本勝ち。母校に6連覇をもたらしました。

この二人、もちろん、小学生時代はひのまるキッズ常連選手で、いろんな思い出がある選手。

まさしく、感無量でした。

彼らだけではなく、この日、日本武道館で青春を燃やしていた柔道家の中には知った顔だらけ。普段はアリーナ席でここぞとばかりに関係者と仕事の話をしまくっているのですが、今回は感染症対策のため観客席からじっくりと観戦となった分、十二分に堪能できました。

そんな中で、

この日、一番の感動が、後ろの席で観戦していた学生たちの会話

準決勝の天理vs国士舘戦でした。

実力伯仲の好試合が展開される中、始まりは後輩と思える学生の一言でした。

後輩 先輩、あの○○、メッチャ強いでしょう。

先輩 ああ、半端じゃないな(笑)

後輩 でも、先輩、自分、これまでの柔道人生でたった一つ自慢できることがあるんですよ!

先輩 なにそれ?

後輩 実は九州のひのまるキッズであいつに勝ったことあるんですよ!

先輩 マジで??

後輩 はい。あの時の嬉しさだけでいままで柔道続けられたといっても良いくらいです(笑)

先輩 そりゃ、すごいね!! でも、ひのまるキッズと言えばあっちの○○と俺、関東大会で当たったことあるんだよ!

後輩 マジですか!! で、どうだったんです??

先輩 すぐにやられるかと思ったけど、思ったより強くなくてさ。これは、いけるかも、と思って試合終了間際に大外掛けたら、思いっきり返されちゃったよ(笑) 

後輩 なんだ、負けちゃったんですね・・。

先輩 でもな、あの時、いつもは怖いオヤジに「お前、よく頑張ったな」ってほめられたんだよ。それが嬉しくてね・・。今思うと、俺もあのおかげで今まで柔道続けられたと思うよ!

いや~

嬉しくて嬉しくて、思わず振り向いて言ってしまいました。

おお! ありがとう!!!!!!!!!

いきなり、オヤジに振り向かれてお礼を言われた学生はキョトン。

準決勝が終わり、学生たちはいなくなりましたが、二度と振り向くことはできませんでした。

なぜって?

絶対に泣いちゃったからです(笑)

いまから、ここから、いやぁ、本当に嬉しかった。一生、忘れません!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その456:内なる思い)

福田昌由追悼記念
第11回スポーツひのまるキッズ東北小学生柔道大会

は、昨日の練習会を含め、本日無事に成功裏に終了することができました。

皆様、本当にありがとうございました。

大会の詳細は、各スタッフからここで紹介されると思いますので楽しみにしてください。

とにかく、

今年は、ひのまるキッズの理念を内外共にとことんすり込む年にしようと心に決めています。

そんななかで、その理念を参加者と再確認する企画が今回より実施。

予想以上の反響に、スタッフの努力も浮かばれたと思います。

標語コンクール

内なる思いを書き込まれた短冊一つ一つにたくさんの勇気といただき、将来への希望を感じ取り、大きな自信につながりました。

この詳細もスタッフより(笑)

ありがとうございます。

いまから、ここから、手応えは十分です。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その455;選ばれる理由(わけ))

人生は選択の連続。

生きるか、死ぬか・・などど常日頃から思っている極端な例は別として。
人は事あるごとに、脳から毎分、毎秒、選択を強いられ、身体に伝達をして生命を維持している。

こうやって空港のラウンジでこのブログを書いているときでも、

暑いから、上着を脱ぐ、いや脱がない・・

少し疲れたから休憩しようか、いや、もう少し頑張ろう・・

耳が痒いから、かこうか、いや、かかない(笑)・・

など、執筆中でも、なんて表現しようか? どの言葉を使おうか・・・?

なんて、その瞬間、瞬間、選択をしている。

先週、このブログを書かなかった(書けなかった)のも今、ぶち当たっている壁にどう対峙していくか迷っているからで、その気持ちは今でも固まってはいない。

今回の出張でも、

先が見える、見えないの話が飛び交った。

でも、この世の中、10年前にスマホで様々な決済ができ、道もわかり、なんでも調べられるなんていう世界が展開されるなんて想像できたわけでもなく、おまけに10年後、何がどう変わるか、起こるかなんて私ごときには想像もつかない。

なので、何が正しい選択なのかは、やってみなければ、終わってみなければわからない。

それならば、四の五の言わず、やってみよう! 

いいからやる。
すぐやる。
黙ってやる。

先が不安、未来が見えない、なんて言っているのではなく、

己を信じ、鍛え上げ、来るべき先に全身全霊をもって挑み、自ら未来を拓く。

そして、やる、やらない、の判断はそれが世の中の人たちに必要とされるか否かと心に決め、必要とされるよう努力を惜しまない。

選ぶより、選ばれたい。

福岡空港にラーメン滑走路という飲食スペースができ数年が経つ。

そこには数多くのお店が軒を連ねているが、私はいつも行くところは決まっている。

その理由は・・、

とことんこだわったシンプルさが好きだから。

もちろん、その味は美味であり、スタッフの対応も素晴らしいという当たり前なことはクリアしている(私的に)。
でも、選んでいる理由はただ単にそのコンセプト。値段など確認したこともない。運び込まれた器をのぞき込むとこだわりが実感でき、ホッとする。

スポーツひのまるキッズは、スポーツで親子の絆を深め、子と夢をつなげるテーマパーク。

スタッフにはそれをとことん追求するように日々口酸っぱく言っている。

そして、テーマパークに完成はない、とも。

人々に選ばれるための小手先の工夫より、その理念に常に向き合い、決して妥協せず、やるべきことを愚直に取り組む熱情を持ち続けたいと改めて思っている。

いまから、ここから、まだまだ青春真っ只中!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その454;見守る)

久しぶりの有観客で訪れた東京学生柔道優勝大会。

あの怒涛のTOKYO2020以来、日本武道館に足を踏み入れたのは先月の全日本選手権以来。まだ、下に降りる気がしなく、じっくり観客席から見守らせていただきました。

我が母校は、

東海大学に6-1と完敗。

残念ながら力の差は歴然。

FBは『思い出』という非常にいいページがあり、私の場合は2012年からのその日の投稿がアップされ、それを見て振り返り、反省したり懐かしがったりしているのですが、ここ数日、東京学生の過去の投稿がアップされるたび、

いつも、いつも、

『後輩にもっと何かできたはずだ!』『悔しい!』

を連呼していて、正直、今回もそうなるだろうな(後輩には失礼ですが)と思っている自分がいました。

でも、今回はこれまでと少し違う思いでこれを書いています。

数年前、中大柔道部創立以来初めてのオール一本負けを同じ東海大学に味わった時と同じような終わり方をするのかなぁ・・と思っていたところ、大将が最後の最後で目の覚めるような一本を決めてくれたからか・・でしょうか?

試合が終わっていつもはすぐ直後に監督と叱咤激励をしていたのですが、それをせずに観客席でそこに上がってきて挨拶に来てくれた数名の選手たちの顔を見たとき、悔しさも怒りも感じることがなく、

ただ、

ご苦労さん、全日本で頑張ろう!

と心の底から素直に言葉をかけることができました。

たぶん、それには訳がありました。

後輩たちが挨拶に来るほんの少し前に久しぶりに会話できた親子の姿がそうさせたのだと思います。

日大3年生で、今年の全日本選手権にも出場した石村君とお父さん。

ちょうど私のすぐ後ろで友人(と思った)と談笑していたので、思わず『石村君、久しぶり!!でっかくなったなぁ!!』と声をかけたところ、

『おお!社長、お久しぶりです!』と満面の笑みで話しかけてきたのが、隣にいた友人・・ではなく彼のお父さんでした。

そう、かつてひのまるキッズに今は高校生の弟と三人で親子出場してくれていた名物ファミリーとの再会でした。

そんなに長い時間ではありませんでしたが、二人の関係があの時と全く変わらず、それが本当に嬉しかったのです。

この親子の会った後に来た後輩に対し、たぶん私は親のような気持になっていたのかもしれません。

子がいない私が言うのもなんですが、

それはまさに、

見守る

という言葉がピッタリ。

『あなたはいったい何人の子供たちを見守っていたんでしょうかね・・。そして、これからもよろしくお願いします』

会場を去るときに見上げた日章旗に思わず話しかけてしまいました。

いまから、ここから、見守るべく対象の多さにワクワクです!

永瀬義規

いまから、ここからひのまる社長の独り言(その453:その先にある子どもたちの未来を信じて)

永瀬さん、大変やねぇ・・。
大会できなくなるらしいね。

大阪出張で久しぶりに行った馴染のお好み焼き屋さんで、店のおっちゃん開口一番のお言葉・・・。

いえいえ、

ひのまるキッズはしっかりと続けますよ!!
だって、全柔連が懸念する“行き過ぎた勝利至上主義”が最も生まれにくい大会だから!!

と答えた私。

以前のここで書かせていただいたスポーツ誌の件からふと気が付くと、頭がいっぱいになってしまうこと・・。

それが、

果たして、大会が減り、ひのまるキッズ参加が増えた時、今までよりももっとしっかりとひのまるキッズの理念を参加者にお伝えすることができるだろうか?

という不安。

そんな中で、出来上がった9月11日の東海大会のエントリー案内。

振り切りました!!

参加者募集としては、不適当じゃないのか?

様々な誤解を招くのではないか?

等々・・。

スタッフの間でもいろいろ議論は出ましたが、

まずは、しっかりと想いを伝えよう

という覚悟をもってこれを発信することになりました。

子どもに無理な減量を強いたり、審判を罵倒したり・・

当たり前のことを当たり前できる子供の育成を掲げ、親子の絆を深め、子供と夢をつなげるテーマパークにこれは全く無縁。そういう人は失礼ながらスポーツひのまるキッズへのご参加をお断りさせていただきたい。

それ以上でも、それ以下でもありません。

いまから、ここから、どんなことがあってもあきらめず、不退転の覚悟でこれを貫き通します。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その452:受け継ぐ、引き継ぐ、感動のみちのく一人旅)

10日から13日までの4日間。2年ぶりの東北・みちのく一人旅に行ってまいりました。

まずは、新幹線で新花巻へ。

ビジネスの師匠。敬愛する実業家・アイオー精密の鬼柳会長の元へ。

実は3年ぶりとなる実面談で少々緊張しておりましたが、まずびっくりしたのが本社社屋が2倍以上に拡大されていたこと。

数年前、

『ここ一帯の土地は確保した。こんな田舎の花巻から世界に日本のものつくりを発信するんだ!』

とおっしゃっていたことをしっかりと実現。

さらに、尊敬すべきは、

代表取締役は息子さんに譲ったものの、ご自身は旧社屋の隅っこ(失礼)に机を構え、常に会社の状態を把握。久しぶりの対面での第一声は、

永瀬さん。これからはデジタル化にどう対応し、これを使いこなすかだよね。凄いよねぇ~。コロナ禍のおかげで世界があっという間に狭くなっちゃった。これからまだまだやることだらけだよ!!』

圧巻でした。

そして、その日の夜は、北上に行き、焼肉やまとの緑川専務と会食。

中学時代から活躍し、東北高校→山梨学院大学と柔道どっぷりの人生から、今やお母さんと一緒に実家の事業を切り盛り、東北屈指の焼肉チェーン店に推し上げた若手経営者。現在は地元米の生産、新事業に意欲を燃やす彼の話に思わず時間を忘れてしまいました。

二日目は、東北大会開催地の弘前へ。

まず訪れたのが櫻田市長。

「実は、永瀬さんと弘前市行政で一番長いのは私なんです』

と面談時に市の職員さんに自らお話しされた通り、13年前に初めて市役所を訪問した時に対応してくださったのが、当時市職員で観光課の課長補佐だった市長その人でした。

地元新聞の記者も同席されて、面談はあっという間に過ぎてしまいました。

そして、市の関係各所を訪問し。

中大柔道部先輩が経営される『磊(みついし)』にてお会いしたのが、成寿会の奥村理事長。

1997年。中央大学柔道部全盛期に大きく立ち塞がった名門・明治大学の主将としてとにかく煙たい存在だった中量級名選手。

現在は医療法人の理事長として、様々な事業展開に挑んでいる彼の話は熱く、思わず写メを撮るのを忘れてしまいました。

その夜は、前回スポーツひのまるキッズ東北大会、10年連続協賛表彰をさせていただいた蛇蘭・野宮オーナーに挨拶ができたのも嬉しい出来事でした。

そして、翌日。

ひのまるキッズ最大の理解者のお二人と連続でお会いできました。

弘前を中心に店舗を拡大する大手スーパー・佐藤長の佐藤代表取締役と、その佐藤氏を紹介してくださり、とにかくひのまるキッズが公私ともに一番お世話になっている応援団長・和電工業の藤田社長。

弘前市の実業界を支えるこのお二人。とにかく、足を向けて眠ることはできない存在。ここでは、書ききれないくらいお世話になっています。感謝!

そして、この日、車で2時間半かけて訪れたのが、八戸。

そこで待っていてくださったのが、黒ニンニク製造会社のトータル・松頭親子。

実は、もう5年位前、友人の紹介で取り寄せてからすっかりとファンになり、注文の際にメールで交わしていただけだった松頭会長。最初は2年前に会社を訪れ、息子さん(現・社長)しかお会いできなかっただけに、会長と会うのがとても楽しみでしたが、想像以上に熱く、物事に対する考え方がピッタリでした。

その後にご一緒した蛯名先生(年齢は一つ上。尊敬する山形・田島先生と青森北高校で同期の柔道家)と共に、とても初対面とは思えない盛り上がりを見せたのは言うまでもありません。

その感動が覚めぬまま、翌日、2時間のドライブで青森へ。初めてのお約束の方には入れ違いでお会いできなかったものの、

最後の最後でお会いできたのが、東北大会メインスポンサーを続けてくださっているイマジンの野崎社長。

いつも柔らかな物腰で、でも熱い志を秘め。常にひのまるキッズのことを心配し、最大の協力をしてくださる街の名士との話は、みちのく一人旅の締めくくりにふさわしい再会でした。

上記に挙げた経営者以外にも多くの人に快く迎えてもらったみちのく一人旅。

7年前。深夜バスで往復した時のことを思い出しながら、その時に負けず劣らず、いや、それ以上の感動を改めていただいたこんな出張をできたことに感謝です。

『自分の好きなことを四の五の言わず一生懸命やれる。こんな幸せなことは無い(松頭会長)』

本当にそのことをつくづく思わせてくれた4日間でした。

いまから、ここから、まだまだまだ、やれます!!

気張るぞ!!東北大会!!!

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その451:中大愛に溢れた漢との別れ)

ここに1冊の記念誌があります。

いまから、17年前に発刊された『中大柔道部百年史』

1985年度卒業の私は、冊子の編集委員として最後の20年を担当。

その中で印象に残っているのはもちろん、 2000年に3度目の優勝を果たした全日本学生優勝大会 ですが、個人的には1997年の東京学生優勝大会初優勝は忘れることができません。

この時のチームは4年生が主将・江上を中心にとてもよくまとまっており、東京学生優勝の勢いで、続く全日本優勝を誰もが疑っていなかっただけに、準決勝でまさかの敗退に屈した時の悔しさは、今でも強烈に脳裏に刻みこまれています。

そして、その一年下の代は、おそらく近年まれにみる個性派ぞろいで、なかなかまとめるには大変だったと思います。

それをまとめ上げ、団体・個人共に仲間を全日本トップレベルの成績に導いた名マネージャーが、5月1日、帰らぬ人となりました。

大学卒業後、セコムに就職。

現役を引退してから、中大柔道部の大先輩である宮田氏の養子となり、川崎の悠友館を引き継ぎ、その後、女子柔道家・北田佳世さんと結婚。

二人三脚で指導にあたり、サラリーマン、道場主、そして、中大柔道部総務コーチと一人三役を黙々とこなし、

その巨漢からは

想像もできないきめ細かな気遣いをし、ひたすら後輩を想い、家族を愛し、周りに愛された漢。

『先輩、私の夢は教え子が母校で柔道をしてくれることです』

と、酒を飲むと連呼し、その夢ももうすぐ手の届くところにきたのに・・。

最後に会ったのは亡くなる3日前、

彼を実の弟のように一番かわいがっている柔道部後輩の焼き鳥さんに友人と来ていることを聞きつけ、翌日は早朝より静岡遠征にも関わらず、顔を出して挨拶をしてくれました。

ほんの30分くらいしかいませんでしたが、

その時も、母校の心配をずっとしており、

『じゃあ、GM中に道場に行こう!]

と言っていたのに・・・。まさか、それが今生の別れになるとは・・。

とにかく、中大愛に溢れている漢。

宮田 学

享年46歳

あまりにも早すぎる別れに、まだまだ気持ちの整理がつきませんが、彼の中大愛に応えることが、残された我々にできることだと思っています。

学、お疲れ様でした。天国から、しっかりと家族、そして後輩を見守ってください。お前が注いた溢れんばかりの愛情を俺たちは決して忘れません。
いままで、ありがとう!

合掌。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その450;家族の笑顔につながる喜び)

4月29日、三年ぶりの有観客、日本武道館で開催された全日本柔道選手権大会。

「今年の全日本選手権はプログラムを見ても本当にワクワクしますね。なぜなら、これまでにくらべものに無いほど知っている顔がいますので!!」

大会前に幹部スタッフから言われ、よくよく大会パンフレットを見ると、本当にその通り! 

以前は「ひのまるキッズ初の全日本出場!!」などと喜んでいましたが、ここ数年でその数は倍増し、参加経験者だけではなく、講師として指導してくださった選手、各地で大会運営に携わっている柔道連盟の先生、さらにはご協賛企業からも審判員にて参加の柔道家の姿がありました。

私個人的には、

かつてひのまるキッズに参加してくれた時の顔が思い出せる選手を見つけては、その試合成績に一喜一憂していました。声を出しての応援が禁止だったので、一生懸命拍手を送ったせいで手のひらが真っ赤になったくらいです。

さて、

試合はご存知の通り、斉藤立選手が並み居る強豪を破り、決勝もこの日好調の影浦選手をゴールデンスコアの末、最後はしっかりと大外刈りで技ありを奪っての優勝! 用事があり途中で帰宅したため、テレビに向かって思う存分、声を上げて声援ができ、試合が決まった瞬間、

斉藤先輩! やりましたね!!! おめでとうございます!!!!

と叫んでしまいました。

このブログでも何度もご紹介したように、故・斉藤仁先生は、ひのまるキッズに何度か足を運んでいただいておりました。

講師としての参加ではなく、

立君のご父兄として、奥様の三恵子さんと親席で・・・。

心配そうに子供の試合を見つめる三恵子さんの横で、目立たぬように(目立ってましたが(笑))、本人にとっては最小限の身振り手振りで指導をする先輩の姿。今からちょうど10年前のひのまるキッズ東北大会5年生の部決勝戦のワンシーンに(何か見てはいけないものを見るような気持ではありましたが)、その姿にとても熱いものがこみ上げてきたことを昨日のように覚えています。

今も、この写真を見るとその熱いものでいっぱいになります。

表情は真逆ですが、自分の子どもを懸命に応援する親の姿。

もちろん、勝負に対して非常に厳しかった先輩でしたので、立君からすればとても怖い存在で、ある時は道場に行きたがらなく、三恵子さんが送り迎えしたそうですが、ただ怖いだけで育ったなら、全日本の大舞台でのあの礼節、対戦中、相手の顔をついた時などに時より見せる謝罪の仕草は生まれなかったと思います。

間違いなくこれは斉藤先輩が亡くなってから、三恵子さんが厳しく、そしてたくさんの愛情をもって育てた結果身についたものだと思います。また、兄・一郎君の存在も大きかったとことでしょう。

そういった意味でも、今回の日本一は、家族の絆によって手にした宝です。

冒頭の写真。翌日のスポーツ紙紙面を飾った素晴らしいショット。

10年前に不安そうにしていた三恵子さんの満面に一杯の笑顔は、家族の絆がもたらした最高の宝物です。そして、家族の眼には斉藤先輩の「よくやった!」という笑顔も映っていたと思います。

最高ですね!

最後に、昨年発行された『スポーツひのまるキッズ通信~東北大会10年の軌跡~』にて、三恵子さんにいただいたコメントをご紹介します。

はい、今度はお孫さんと、おばあちゃんとしてのご来場をお待ちしています!!

いまから、ここから、家族の笑顔につながる喜びをかみしめて!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その449:全柔連の決断を受けて、あらためて考える我らの姿勢)

https://www.asahi.com/articles/ASQ3K72D7Q3JUTQP00H.html?iref=pc_photo_gallery_bottom

ひのまるキッズは大丈夫なんですか??

スポーツひのまるキッズ九州大会を開催すべく、粛々と準備をしている時、メールや様々なSNSを通じてガンガン問い合わせが送られてきて、検索したのが上記の山下会長の写真と共に掲載された記事。

この記事は詳細が有料になっていたので、リード部分しか読まず。大会開催でバタバタしているうちに本番突入。

当日、現場ではその話でもちきりでした。

案の定、代表はどう思いますか?と聞かれ、

全柔連が言っていることは間違っていないし、我々がとやかく言うことはない。だって、我々がやっているのは、スポーツひのまるキッズ、

スポーツで親子の絆を深め、子と夢をつなげるテーマパーク創りですから!

と答えながらも、

「全てが思い通りにならないとしても、全てを諦めるのではなく、子どもたちの大切な日々を、少しでも実りあるものにしたい」
という『想い』だけで開催。
大会規模を縮小、イベントもブースも思うようにできない状況で

これは、ひのまるキッズではない。単なる柔道大会じゃないか・・。このまま開催して良いものだろうか??

と自問自答する自分がいたのも事実でした。

その気持ちは、
ほとんど何もできなかった翌週の近畿大会で心に埋め尽くされたものの、

ここでも書きましたが、感染症対策で何度も入れ替えをしたため、あわただしく道場を去る親子たちが、わざわざ私に駆け寄り、

こんな状況で子供たちにこの『場』を提供してくださってありがとうございました!

と、本当にたくさんのお言葉をかけていただいたおかげで、少し和らいでいました。

そんな時です、

代表! この写真はひのまるキッズです。これは、酷いです。

出張中に柔道プロジェクトリーダーから送られた記事、タイトルバックに使われていた写真は8年前の大会写真。その日の午前中のアポを全て変更して、関係者への連絡に奔走したのは言うまでもありません。

幸いにも、写真提供した会社、記事を出した出版社ご担当の迅速な対応で写真は差替えていただきました。
念のために申し上げますが、その記事自体は良く取材されており、適切な文章でわかりやすいものでした。

今回の件は、もちろん、すべての関係者に悪意はないのは明らかです。ただ、私の中には、何とも抑えきれない怒りで満ち溢れていました。

それは、誰でもない、私自身への不甲斐なさに対しての怒りでした。

記事のタイトルに「相手の子どもをののしる親」という言葉があったため、親が目の前で子供を応援するひのまるキッズのワンシーンを使われたのは明白。

でも、この関係者の誰か一人でも、「親が目の前で子供を応援できる大きな大会はひのまるキッズだけ。そして、この大会はこのタイトル、記事の内容にはそぐわない」

と気づいてもらったらこんなことにならなかった。つまり、全ては、我々の努力不足。

ひのまるキッズ六訓を通じて、スポーツで親子の絆を深め、子と夢をつなげ、

親が子を認め(褒め)、子が親に感謝する場・生涯の思い出に残る場を

当たり前のことを当たり前にできる子供を育てるお手伝いを

それに関わる全ての人々と共にスポーツのテーマパークを創り上げる。

13年間、言い続け、やり続けていたつもりが。まだまだ、まだまだ伝わっていなかった・・・。

いやいや、今回の関係者にそこまで求めるのはハードルが高いでしょう!

と言われるかもしれませんが、

そんなことはありません。

いや、むしろ、そこまでやり切る覚悟がなければやめた方がいいくらい思っています。

いまから、ここから、
何ができるかではなく、今、できることをとことんやり切る。
そう、いまこそ、我らの姿勢を再確認するときです。

永瀬義規