いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その49:人の縁が絆になるとき思いは叶う)

最近常々思うんです。

全ては人の縁だと。

もちろん、人の縁は誰にでもある。

でも、その縁を生かすも殺すも、その人次第。

私の場合は、ひのまるキッズのお陰でその縁がどんどんひ広がって絆となり、
毎日がとても充実しています。

実は、人生で一番大切なものを失ってから、
とにかくがむしゃらに前に向かっているから神様がご褒美を与えてくれているんだ、
と思う反面、守るものが無くなったために半分やけになっていた自分もいます。

でも、もちろんいいことばかりではありませんが、
『正しいことをやっている限りは、お前のことをみすてないよ』

って神様が、人生最終コーナーに差し掛かったダメ社長に最後のチャンスを
与えてくれたんじゃないかと思える日々が続きます。

動機善なりや、私心なかりしか

自分を律し、もっともっとストイックに、いただいたご縁をしっかりとぶっとい絆に育て上げたいと思います。

いまから、ここから、全てのご縁に感謝し、太い絆にするためとことん己を尽くして尽くすのみ! 集中します!

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永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その48:おかげさん)

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子供の頃から厳格な父親に常に言われていたことがある。

『人のせいにしない、全ては自分の責任だ』

だから、ついこの前まで、いつも、

俺がやってやる、俺だからできる。

必ずできるまでやる。

って生きてきました。

でも、会社を興して、家も財産も、家族もほとんど失っちゃいましたが、ひのまるキッズという事業を
愚直に取り組んで、一つだけわかったことがあります。

人間は一人じゃ何もできない。

それに気づいたとき、

人のせい…ではなく、人のおかげ…って心底思えるようになっている自分がいました。

もちろん、責任は自分にあり、必ずできるまでやりきるという気持ちにブレはありません。

でも、やりきったとき、それはみんなのお陰で、おかげさんで、と感無量になりたいと思っています。

いまから、ここから、全ては輝く子供たちのために!

永瀬義規

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GWの次は……!

GW、皆さんはどう過ごされました?
4月29日には全日本選手権大会があり、
前日の28日には高段者大会があり、さらに、
5月5日「子供の日」には全国少年柔道大会がありと、
毎年のことではありますが、
柔道界はイベント盛りだくさんでしたね。

子供の日の全国少年柔道大会、
出場された選手、指導者の皆さんお疲れ様でした。
優勝は朝飛道場だったとのこと、
選手・関係者の皆さんおめでとうございます。

また、個人戦では、和歌山・九度山柔道クラブの入来院大樹君(5年生)と、
神奈川・朝飛道場の工藤海人君(6年生)が優勝したそうで、
こちらもおめでとうございます。

優勝選手以外でも、湯川魁君(県立富山武道館)や
海堀陽弥君(九度山柔道クラブ)、野村陽光君(舟川柔道塾)、
松澤佑栞さん(白根柔道連盟鳳雛塾)と上位進出選手のほとんどが
スポーツひのまるキッズ小学生柔道大会でも
活躍している選手たちなので、
「みんな頑張ったなぁ」と、とても嬉しくなりました。

今回、活躍した選手はもちろん、
残念ながら、力を出し切れなかった選手たちも、
次は、全国各地の「スポーツひのまるキッズ小学生柔道大会」が
お待ちしてます!

スポーツひのまるキッズ大会事務局 林

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その44:本当にやらなければならないこと~ひのまるキッズのこだわり②・東北復興支援)

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平成23年、今から三年前のGW、私は当時の取締役・時崎と岩手県宮古市にいました。

未曽有の大震災によって被害にあった子供たちになにができるか・・・。

3月11日の震災以降、その直後の近畿大会、翌月の関東大会において募金活動をしましたが、どうしてもそれ以上のことをやりたい・・。

社内で会議を繰り返し、出てきた言葉は正直、後ろ向きな意見・・。

だったら、まずは俺たちでいく!! と東北大会営業で訪れていた弘前からレンタカーで南下し、花巻~盛岡と営業回りとして、たどり着いたのが宮古市山田町でした。

行ったときには、まさに映画でも見ているかのような状況・・、戦争後の東京もこんな感じだったのだろう・・、絶句の一言でした。

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山田町の鈴木先生を始め、実際、家が壊滅状態になってしまった鳥居さんやご父兄とお話をして当初は10組20名の予定だったご招待を23組46名に決定。それから、決まったからには・・ということで、五月一杯で全国48社を周り協賛を集めてなんとか大会にこぎつけました。

平成23年6月12日

会場の弘前・青森県武道館には500名以上の子供たちの中にその23名はいました。

そして、選手宣誓・・・。

https://www.youtube.com/watch?v=LiTklouVgI8

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鳥居兄弟とそのお母さんが会長の前に立ち、

『選手宣誓の前に感謝の言葉を述べさせてもらいたいと思います』とはじまった時には、会場は静まり返りました・・。

そして、その感謝のスピーチが終わり、選手宣誓に移行。終わるころには、涙で一杯の眼からその涙をこぼさないように目を見開き、上を見上げるしかない状況が続き、横を見ると、講師、ゲスト、そして市長までもが全員顔を上げていることに気が付きました。

それから、今日まで皆さんのおかげで210名の親子を、各地のひのまるキッズにご招待することができました。

本当にありがとうございます。

今回にいたるまで、ここでは書きつくせない様々なお話を直接聞かせていただきました。

大阪の近畿大会でベイタワーホテルから見える南港の素晴らしい眺望を見た瞬間、宮城の女川からきた子供がお母さんに

『お母ちゃん、ここだったら津波、届かないね』

って言った時の胸の詰りは今でも、いや一生忘れられません。

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そして、今回、今一度、被災地を訪れました。

三年ぶりのその場所は、正直、想像以上に復旧は遅れているように思えました・・。

いや、言葉を選ばず言わせていただけば、まだまだ全く進んでいないように思えました。

国が、自治体が・・などと、言っていても仕方がありません。それぞれの立場もあるでしょう。

それでは、我々ができることは、何か・・・。

本当にちっぽけなことですが、我々は愚直に被災地の親子をひのまるキッズにご招待し、『親子の絆』を深めていただくことだと確信しています。

そして、それを続けることです。

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さらに、今度は満を持して、現地にてひのまるキッズを開催し、周りの力で被災地の親子たちに励ましのエールを送ることも企画します。

いまから、ここから、自分たちができることにとことん己を尽くして、決してあきらめない!! やれることは、まだまだ未知数です。

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その43:思いは必ず叶う~引き寄せの法則?(笑))

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ひのまるキッズを始めてもう6年。

そんなことをやって、どうやって飯を食うんだ?

協賛金なんて集まるわけがない…

永瀬さんにしかできない。

様々ことを言われ、それでも、必死になって全国を回り、三万でも数百万でも決して力を抜かず、一生懸命話をしてきました。

そして、本当に少しずつですが、光が見え始めてきたように感じます。

そんな中、特に昨年くらいから、人の『絆』のありがたさを痛感する場面に遭遇することが度重なるようになりました。

先日も弘前で鳥肌ものの出会いがありました。

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「ミスひのまるキッズ」村中と深夜バスで到着してから、とにかく、回りに回っていました。

お陰さまで、ほとんどの話は順調に進んでいましたが、唯一、「中国大会の丸久、東海大会のユタカファーマシーみたいなスーパーもしくはドラックストアのスポンサードがほしい」という点だけが未決定でした。

行くところ、会う人にどこかないかと尋ねても、いくつか名前は出るけど、コネクションがない状態…( ̄^ ̄)

そうこうしているうちに、最終日になってしまいました。

深夜バスの時間まで、青森のパートナーで、スポーツひのまるキッズ協会の理事でもある藤田博臣と、元、弘前青年会議所理事長の藤田あつ志氏のW藤田と会食。

その時に、藤田あつ志さんが連れてきた現青年会議所の理事長に、いつも通り熱く語りまくっていました。ひとしきり話終え、次のアポイントメントのために先にお店を出るという時、ふと理事長に「理事長は何の商売をされているんですか?」と聞くと、

スーパーです。

という返事。

ん、と交換した名刺をよくよく見ると、佐藤さん。

ん、佐藤…。ん? 

と、昼、物産協会の事務局次長に教えてもらった企業のメモを見直すとそこには「さとちょう スーパー」と走り書き。

まさか、理事長は?(笑)(^^)d

はい、佐藤長というスーパーやってます…。

見、見つけた! 最後の最後で、奇跡が起こりました!

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そこからは、怒濤の営業攻撃で、協力は約束してくれました(^-^)v

まさに、テレビドラマを見ているようで、W藤田も、ミスひのまるキッズも、大感激でした。

いまから、ここから、思いは必ず叶う~引き寄せの法則でもっともっとひのまるキッズの絆を深めていきたいと思います!

感謝。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その42:ひのまるキッズのこだわり①~靴を揃える)

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スポーツひのまるキッズ小学生柔道大会を始めるに至って、様々なことを社内で話し合いました・・。
参加する子供がうれしいこと、『夢』を提供して、一生の思い出つくりのお手伝いをすること・・・。

そして、生まれたのが、

『一番見て欲しくて、褒めてもらいたい人にもっとも近いところにいてもらい感動を共有してもらう』

つまり、

いつもは観客席で応援している親御さんに試合場の一番近い席で、応援してもらう、ということでした。

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これって、基本的にはそんなに難しいことではないように思えますが、ひのまるキッズの規模でそれを
やるとなると、かなりのハードルの高さになるということは、かつて全柔連大会事業課長だった自分が
一番よく知っていました。

でも、スタッフの熱意、県柔連の先生方のご理解、賛同する道場の先生方のご協力で6年前、無事関東大会
を開催し、それから現在まで、全国8か所でもう完全に定着することができたことは、本当に皆さんのお蔭で、
感謝の気持ちで一杯です。

さて、そんな中で、このルールにするにあたって、大会としてこだわっていることがいくつかあります。

今回は、その中の一つ、『はきものを揃える』ということを紹介します。

文字通り、靴を揃えるという行為。当たり前と言ったら当たり前なんですが、当初は、まあ、見事に入口、
トイレ・・いたるところでゴチャゴチャでした。

最初は、入口で口うるさく言っても、放送で何度も注意してもまったくダメ。

ところが、ある時から何も言わなくても、一つ、二つ・・、そして、現在はほとんどの会場でしっかり
はきものがそろっているシーンを見かけるようになりました。

その理由は・・・

簡単でした。

最初、私自身も、スタッフも一生懸命脱ぎ捨てられた靴を揃えていました。それを見れば(つまり背中を見せれば)
子供たちは気づいてくれると信じて・・。

でも、それはとんでもないということが、すぐにわかりました。簡単に言うことを聞いてくれるわけがありません。
でも、顕著に変わった瞬間が訪れるのはそんなに時間はかかりませんでした。

私たちの姿を見て、共に入場する親たちがしっかり揃えるようになり、それを見た子供たちが、当たり前のように
その真似をするようになったのです。

まさに、親子の絆

そして、この『はきものを揃える』という行為。もちろん、会場によっては、格差はありますが、柔道のレベルとマナーは
必ず比例するということを気づかされる物差しにも現在はなっています。

つまり、「子は親の鏡。鏡である子供に靴を揃えなさい、例をしなさいと言って、自ら実行する親に育てられた子供は
柔道の技術もしっかり吸収し、成長も早い」ということ。

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年々、ひのまるキッズのレベルが高くなってきて参加者が『勝てない大会』とエントリーを躊躇するという声が多くなり、
ちょっと心配ですが、そこは『競技力向上の大会ではなく、負けてからしっかり楽しめるイベント』というコンセプトの
徹底がなされていない、我々の広報不足と反省しております・・・。

いつの日か、ひのまるキッズの会場では、いつもピシッと揃えられたはきもので一杯にしたいと思います。

いまから、ここから、信念を持って己を尽くしていきます!!

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その41:継続は力なり!お陰さまで6回目を迎えることができました!)

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第6回スポーツひのまるキッズ関東小学生柔道大会、なんとか無事に終了しました!

今回は、6回目ということで、6回連続で出場、つまり小学生活全ての学年でひのまるキッズに出場してくれた選手を
表彰することを決定。思案の結果、協賛のイトダネームさんの協力により、『祝6年連続出場』の刺繍を施した
ひのまるキッズ特製タオルを開会式でプレゼントすることが決定。

開会式の私のスピーチ時間を使って一人一人に贈呈を行いました。

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対象は12名。

参加選手の前にならんでもらってイトダネームのスタッフに贈呈していただいたときに、熱いものが胸を込み上げてきました。

思い起こせば、6年前、

「また、永瀬がなんか始めた。それも親を会場内に入れるなんて…」

から始まったこの大会。

永瀬さん、思う存分やってください。バックアップは確実にやらせてもらうよ!

という須坂会長のお言葉でどんなに勇気付けられたことか…。

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今年の1年生が6年生になった時、今度は20名が残っているような、魅力ある大会にしようって
やる気がみなぎった一日でした。

いまから、ここから、日々、向上です。

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その39:原点『近代柔道杯』)

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何でもいいから、企画書を持ってきなさい!! 新入社員だからと言っても遠慮することはないぞ。

大学を卒業して、ベースボールマガジン社に入社し、近代柔道編集部に配属。毎日毎日、慣れない編集作業で
フラフラになっているときに、当時の副社長から言われたこの言葉に、それまで思っていることを爆発させた。

近代柔道編集部に所属したときに最初に思ったこと、
それは、『あれ、俺ってこの雑誌に何回載ったことがあるんだろう??』

正直、片手で数えるくらいしか、それも記録のページにちょこっと、写真は学校訪問と『ちょっといい顔』の観客として・・(笑)

まあ、正直、ほとんどの人がその程度(以下)と気が付いてから、ことあるごとにみんなはどこのページから読んでいるのかな・・と
注意するようになり、また、できる限りの読者に「どのページを見ますか?」って聞きまくりました。

答えは、記録のページがダントツ。じゃあ、どうすれば一人でも多くの人を掲載できるのだろう・・・・、

そこで確信した私が出した企画が『お父さんは子供のころに全国大会で〇〇選手と同じステージに立ったんだよ』と言って近代柔道を子供に
みせてもらうための゛誰もが出れる全国大会” それも、その当時、一番選手層が薄かった中学生にターゲットを絞りました。

企画書を持ち込んだ時には、当時の広告局長に『馬鹿野郎、柔道のイベントなんて儲かるわけないだろ!!』と言われたものの、起死回生の大逆転で
東洋水産から協賛をいただき資金を確保。そこから、東京都中体連や全柔連に当時の編集長・根本氏(故人)と何度も通い、体重別の団体戦も
認めてもらい、なんとか1988年3月27日、(当時は関東大会として)51チームの参加で講道館にて開催された『近代柔道杯』

補助係員は中大の後輩。
アナウンサーはのちの嫁さん、
弁当運びは『ひのまるキッズ講師』でお世話になっている青井先生(笑)・・・・・!!!

閉会式で、当時の池田社長に『おまえ、よくやったな。うん、うん。これは我社の看板大会だ。今後、役員は必ず出席するように!!』と褒められた時の
感動は昨日の時のように思えています。

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それから、5年後に渡米するまで全国大会に育て上げ、そのあとは、もっとも信頼する後輩を始めとする広告局スタッフを中心に続けていただき、帰国後は、全柔連の
立場でバックアップ。2001年に再び古巣に戻ってからは、主体事業として大会規模拡大をめざし、その集大成が独立する前の年の2007年大会。
テレビを入れ、協賛を増やし、そして世界の大陸代表として6か国から参加を得るところまで発展させることができました。

独立してからは、残念ながら携わることができず、毎年、思い出を振り返るだけですが、今の自分の考え方、ビジネス手法、そしてネットワークを構築できたのは
この大会のおかげだと思って感謝しています。

『誰もが出れる全国大会』で呼んで輝く舞台を提供する近代柔道杯に負けないよう、
『一人でも多くの子供に夢を提供し、親子の絆を深める』イベントとしてひのまるキッズを地方の方々と広げていきたいと思います。

そして、いつかは ひのまるキッズ⇒近代柔道杯⇒金鷲旗⇒学生柔道⇒実業団⇒ひのまるキッズ(保護者の部)⇒マスターズ と、民間企業がしっかりと『柔道界』を
バックアップできるパイプを一気通貫でいけるようになればと望んでいます。

それには、『ひのまるキッズ』もっともっと盤石な事業にしないといけませんね!!

いまから、ここまら、温故知新でさらにパワーアップです!!

最後に、本日の第27回近代柔道杯、スタッフの皆様お疲れ様です。大会の成功をお祈りしております!

http://www.judo.or.jp/p/32634

永瀬 義規

いまから、ここから。ひのまる社長の独り言(その37:あの時、思ったこと・・)

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帰郷している親友から、『アルバムを開いていたらこんなの見つけたよ!』って写真が
添付されてきました。

いまから28年前、中大の卒業アルバムだと思います。

一般学生で柔道部に入って、三年間はまったく存在さえも無視され、でも回りの支えで
頑張り、なんとか4年生でレギュラーの末端に引っかかった学生時代。

とことん、己を尽くす。

できるまでやる。

決してあきらめない。

51歳になった今でも、永瀬義規を支えている生き方は、この4年間で構築されたといっても
過言ではありません。

ただ、この写真を見て、卒業式のあの日、大学の正門で同級生で写真を撮った時に思ったことがふと頭に浮かびました・・、

俺って、幸せだな~

これまでの四年間が走馬灯のように頭を駆け巡り、本当にそう呟いてしまいました。

みんなは笑っていましたが、

今でも、私の周りにはこのころの仲間がいて、弱気になった私を大所高所で支えてくれています。

さあて、死ぬまであと20数年(たぶん(笑))

死ぬときに、その時、そばにいる大切な人に『俺って幸せだったなぁ~』そして、先に行った仲間たちに
『おう、お待たせ!!これからも楽しくいこうな』って言えるように前を向いて精進していきたい。

いまから、ここから、幸せは自ら感じることです!!!  ね。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その36:幸せを噛み締める瞬間)

御前岬

諸般の事情で、最近、幸せを感じたことはなく、正直、こころの中に穴がポッカリと空いている状況でした。

いつまでもくよくよしていても仕方がないと、なんとか前に進んでいこうとしている矢先、FBでもアップしたように
なんと、引っ越しの時には本当にバタバタで考える余裕がなかったのですが、大学時代同じ釜の飯を食べて、それ以降
公私ともに支えてくれている親友二人の家と本当に近くに新居を構えたということに先日、気が付きました(笑)。

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そして、今日、経営者としては大先輩でそれこそ公私ともにお世話になっている弟分が急に旅行に誘ってくれました。

尚(加賀)

親友二人とは、大井町でもつ鍋食べて、飛び込みでバーに入って・・・、そして、弟分とは昨夜から石川県の温泉に行って、飲んで、
ラーメン食べて、今日は、バスで加賀市を回って、蟹をはじめ北陸の蟹、魚を堪能して、日本海をボーっと眺めて・・。

蟹!

内容的には大したことはなかったのですが(失礼(笑))、ただ、笑って、笑って、笑いました。

人間とは、何かのために生きていると思います。

その中で大切な『働く』ということに関しても、

家族の生活を守るために働く、
自分の夢を叶えるための収入をえるために働く、もしくは、働くことで夢を叶える
会社を健全な経営状態に保ち、社員の家族を守るために働く、
プライド、見栄を守るために働く・・・。

ただ単に、『生きるため』だけに働く、っていう人もいるかもしれません、では、なんのために『生きる』のでしょうか?

死んだらおしまいだから、生きるんです・・・、もちろん。

自分自身、振り返っても自分は何のために生きているのか・・、正直、わからなくなっていました。

でも、今回、すべてを忘れて笑っていたら、そんなことはちっちゃな話で、こいつらを含めた、全ての絆を持つ仲間と
いろんなことを共有し、泣いて、笑って、感動して、そして、私には自分の子供のような『ひのまるキッズ』が生きる
糧なんだと、いつも言っているように、ただひたすらこのイベントを愚直に取り組めば良いんだ、と思えるようになりました。

そうただひたすら、己を尽くせば良いんです。そして、世の中に必要とされなければ、潔くやめれば良い。

どうなっても、仲間との絆は切れず、何をしても共に笑ってくれる。

義規スマイル

いまから、ここから、そう、絆を感じ、心の底から笑える幸せを噛み締めて、新年度に踏み出します!!!

永瀬 義規