いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その39:原点『近代柔道杯』)

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何でもいいから、企画書を持ってきなさい!! 新入社員だからと言っても遠慮することはないぞ。

大学を卒業して、ベースボールマガジン社に入社し、近代柔道編集部に配属。毎日毎日、慣れない編集作業で
フラフラになっているときに、当時の副社長から言われたこの言葉に、それまで思っていることを爆発させた。

近代柔道編集部に所属したときに最初に思ったこと、
それは、『あれ、俺ってこの雑誌に何回載ったことがあるんだろう??』

正直、片手で数えるくらいしか、それも記録のページにちょこっと、写真は学校訪問と『ちょっといい顔』の観客として・・(笑)

まあ、正直、ほとんどの人がその程度(以下)と気が付いてから、ことあるごとにみんなはどこのページから読んでいるのかな・・と
注意するようになり、また、できる限りの読者に「どのページを見ますか?」って聞きまくりました。

答えは、記録のページがダントツ。じゃあ、どうすれば一人でも多くの人を掲載できるのだろう・・・・、

そこで確信した私が出した企画が『お父さんは子供のころに全国大会で〇〇選手と同じステージに立ったんだよ』と言って近代柔道を子供に
みせてもらうための゛誰もが出れる全国大会” それも、その当時、一番選手層が薄かった中学生にターゲットを絞りました。

企画書を持ち込んだ時には、当時の広告局長に『馬鹿野郎、柔道のイベントなんて儲かるわけないだろ!!』と言われたものの、起死回生の大逆転で
東洋水産から協賛をいただき資金を確保。そこから、東京都中体連や全柔連に当時の編集長・根本氏(故人)と何度も通い、体重別の団体戦も
認めてもらい、なんとか1988年3月27日、(当時は関東大会として)51チームの参加で講道館にて開催された『近代柔道杯』

補助係員は中大の後輩。
アナウンサーはのちの嫁さん、
弁当運びは『ひのまるキッズ講師』でお世話になっている青井先生(笑)・・・・・!!!

閉会式で、当時の池田社長に『おまえ、よくやったな。うん、うん。これは我社の看板大会だ。今後、役員は必ず出席するように!!』と褒められた時の
感動は昨日の時のように思えています。

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それから、5年後に渡米するまで全国大会に育て上げ、そのあとは、もっとも信頼する後輩を始めとする広告局スタッフを中心に続けていただき、帰国後は、全柔連の
立場でバックアップ。2001年に再び古巣に戻ってからは、主体事業として大会規模拡大をめざし、その集大成が独立する前の年の2007年大会。
テレビを入れ、協賛を増やし、そして世界の大陸代表として6か国から参加を得るところまで発展させることができました。

独立してからは、残念ながら携わることができず、毎年、思い出を振り返るだけですが、今の自分の考え方、ビジネス手法、そしてネットワークを構築できたのは
この大会のおかげだと思って感謝しています。

『誰もが出れる全国大会』で呼んで輝く舞台を提供する近代柔道杯に負けないよう、
『一人でも多くの子供に夢を提供し、親子の絆を深める』イベントとしてひのまるキッズを地方の方々と広げていきたいと思います。

そして、いつかは ひのまるキッズ⇒近代柔道杯⇒金鷲旗⇒学生柔道⇒実業団⇒ひのまるキッズ(保護者の部)⇒マスターズ と、民間企業がしっかりと『柔道界』を
バックアップできるパイプを一気通貫でいけるようになればと望んでいます。

それには、『ひのまるキッズ』もっともっと盤石な事業にしないといけませんね!!

いまから、ここまら、温故知新でさらにパワーアップです!!

最後に、本日の第27回近代柔道杯、スタッフの皆様お疲れ様です。大会の成功をお祈りしております!

http://www.judo.or.jp/p/32634

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その38:私のヒーロー!『昭和の三四郎』岡野功

その柔道家を知ったのは、小学生のころ。

戦国時代の武将好きだったため、貪るように偉人の伝記を読み感化されていた私が、ふと手にしたのがその柔道家が
それまでの柔道生活を記した単行本でした。

本のタイトルも、中身の詳細もほとんど覚えていませんが、
『これだけ練習しないと世界一にはなれないんだ』
『中学生で耳がつぶれていないと恰好わるいなぁ(笑)』
と思っていたことは確かでした・・・。

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その柔道家との初対面が中学生の時、柔道の私塾『講道学舎』でのことでした。

当時のことも、正直、あまり覚えていません。ただ、筋の良い後輩に背負い投げを教えているのを陰で見て、やけに
その理論的な指導に感動していました・・・。

大学進学を決めるとき、その決め手となったのが、その柔道家の存在だったことも嘘ではありません。

そして、その柔道家との強烈な思い出は、大学4年になる直前の勝浦合宿でのことです。

当時、とにかく、強くなりたくてライバルたちには絶対に負けまいと朝のランニングでは必ずトップを争い、午後の乱取り
でも、元立ちを進んでこなして、たぶん20~30本くらいガンガン稽古をしていました。

ただ、午前中の寝技稽古の時だけ、寝技が苦手な私は、正直、少し手を抜いていたように見えたのかもしれません・・。
そんな時です。

何本目かで当たった流通経済大学の学生との寝技稽古の時、亀になって相手の攻撃をただ時間稼ぎをするかのようにこらえていると、
ふと、凄いさっきを感じました。

顔を上げた瞬間、目の前が真っ暗になりもんどりうってすっ飛ばされ『貴様、中大のレギュラー候補がそんな練習をしてどうする、
今すぐ道場から出ていけ!!』という声だけが頭に響き、目の前にその柔道家が仁王立ちしていました。でも、その柔道家は
流通経済大学の監督で、なんで俺が怒られなければ・・、と思いながらも、すぐに立ち上がり『す、すみません・・』と言って
稽古に戻りましたが、顔中が痛くて、その日の午後に(その時は頭をけられたと申請して)、コーチに言って、一日早く
大学の合宿所に帰る許可をいただきました。

正直、その時は『稽古をさぼれる。それも公式に』みたいな気持ちで帰路に着いたのですが、勝浦から東京駅に行き、そこから
電車を乗り継いで、八王子の合宿所がある南平を降りるときは、口の中が痛くて、痛くて気絶寸前。

これは、頭ではなく、口だな・・と、駅を降りてすぐの歯医者に飛び込みました。

すると、レントゲンをもってきた歯科助手が「これは、ひどい」という声が聞こえ、先生から「君、前歯三本、根っこで折れているけど
どうしたの??」

マジすか・・・。

と言っても、あまり大したことと受け取らず、すぐに差し歯にしてもらい、現在は7年前にインプラントできれいになっていますが・・。

そして、就職し、近代柔道の編集長でその柔道家をことあるごとに取り上げ、ようやく名前を覚えていただき、そのあと、縁があって
eJudoの代表取締役としてお会いする機会が増え、お宅にお邪魔しては編集長の古田君と感銘を受けていました。

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昨年、状況が変化して、頻繁にお会いすることがなくなり非常に残念だと思っていた矢先、その柔道家が母校の第五代目の師範に就任という
話が持ち上がり、なんとかお願いして受けていただいたと聞いた時には本当に涙が出るほど嬉しかったです。

昨日の中大柔道部歓送迎会で『自分の柔道人生の集大成にしたい』と仰り、FBでもご報告しましたが、このブログでもご紹介させていただきました。

昭和の三四郎

岡野功

私の中でヒーロー中のヒーローであるこの稀代の柔道家からこれからも様々なことを吸収できる喜びを実感しています。

いまから、ここから、日々勉強、勉強です!!

あ、岡野師範は、私の歯のことはまったく覚えていませんでした(笑) スケールが違いますね・・・(*_*)

永瀬 義規

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いまから、ここから。ひのまる社長の独り言(その37:あの時、思ったこと・・)

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帰郷している親友から、『アルバムを開いていたらこんなの見つけたよ!』って写真が
添付されてきました。

いまから28年前、中大の卒業アルバムだと思います。

一般学生で柔道部に入って、三年間はまったく存在さえも無視され、でも回りの支えで
頑張り、なんとか4年生でレギュラーの末端に引っかかった学生時代。

とことん、己を尽くす。

できるまでやる。

決してあきらめない。

51歳になった今でも、永瀬義規を支えている生き方は、この4年間で構築されたといっても
過言ではありません。

ただ、この写真を見て、卒業式のあの日、大学の正門で同級生で写真を撮った時に思ったことがふと頭に浮かびました・・、

俺って、幸せだな~

これまでの四年間が走馬灯のように頭を駆け巡り、本当にそう呟いてしまいました。

みんなは笑っていましたが、

今でも、私の周りにはこのころの仲間がいて、弱気になった私を大所高所で支えてくれています。

さあて、死ぬまであと20数年(たぶん(笑))

死ぬときに、その時、そばにいる大切な人に『俺って幸せだったなぁ~』そして、先に行った仲間たちに
『おう、お待たせ!!これからも楽しくいこうな』って言えるように前を向いて精進していきたい。

いまから、ここから、幸せは自ら感じることです!!!  ね。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その36:幸せを噛み締める瞬間)

御前岬

諸般の事情で、最近、幸せを感じたことはなく、正直、こころの中に穴がポッカリと空いている状況でした。

いつまでもくよくよしていても仕方がないと、なんとか前に進んでいこうとしている矢先、FBでもアップしたように
なんと、引っ越しの時には本当にバタバタで考える余裕がなかったのですが、大学時代同じ釜の飯を食べて、それ以降
公私ともに支えてくれている親友二人の家と本当に近くに新居を構えたということに先日、気が付きました(笑)。

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そして、今日、経営者としては大先輩でそれこそ公私ともにお世話になっている弟分が急に旅行に誘ってくれました。

尚(加賀)

親友二人とは、大井町でもつ鍋食べて、飛び込みでバーに入って・・・、そして、弟分とは昨夜から石川県の温泉に行って、飲んで、
ラーメン食べて、今日は、バスで加賀市を回って、蟹をはじめ北陸の蟹、魚を堪能して、日本海をボーっと眺めて・・。

蟹!

内容的には大したことはなかったのですが(失礼(笑))、ただ、笑って、笑って、笑いました。

人間とは、何かのために生きていると思います。

その中で大切な『働く』ということに関しても、

家族の生活を守るために働く、
自分の夢を叶えるための収入をえるために働く、もしくは、働くことで夢を叶える
会社を健全な経営状態に保ち、社員の家族を守るために働く、
プライド、見栄を守るために働く・・・。

ただ単に、『生きるため』だけに働く、っていう人もいるかもしれません、では、なんのために『生きる』のでしょうか?

死んだらおしまいだから、生きるんです・・・、もちろん。

自分自身、振り返っても自分は何のために生きているのか・・、正直、わからなくなっていました。

でも、今回、すべてを忘れて笑っていたら、そんなことはちっちゃな話で、こいつらを含めた、全ての絆を持つ仲間と
いろんなことを共有し、泣いて、笑って、感動して、そして、私には自分の子供のような『ひのまるキッズ』が生きる
糧なんだと、いつも言っているように、ただひたすらこのイベントを愚直に取り組めば良いんだ、と思えるようになりました。

そうただひたすら、己を尽くせば良いんです。そして、世の中に必要とされなければ、潔くやめれば良い。

どうなっても、仲間との絆は切れず、何をしても共に笑ってくれる。

義規スマイル

いまから、ここから、そう、絆を感じ、心の底から笑える幸せを噛み締めて、新年度に踏み出します!!!

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その35:いまから、ここから、ですね(^-^)v)

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本日、ここから新たな人生を踏み出します!
たぶん、死ぬとき『おい、俺の人生、楽しかったね』って言えるかどうかは、今日からの数年で決まると思います。

今まで以上に、己を尽くします。

いまから、ここから、よーい、ドン!

永瀬義規

娘の大学入学で、改めて考えた『親子の絆』

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私事で恐縮ですが、次女が大学に合格しました。
ホッとひと安心ではあるのですが、同時に、
入学金・授業料と怖いくらいの金額がかかることを改めて思い知らされ、
ちょっと途方にくれているところです。
2年前に、長女で同じことを経験しているわけで、
当然わかっていたことなのですが……、
「親って大変だなぁ」とつくづく実感するとともに、
自分が大学に入るときにも、
両親が同じような苦労をしていたんだなぁと思うと、
申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちになります。

「大学を卒業させるまでは親の役目」
そう思って頑張っているお父さん、お母さんも
たくさんいらっしゃると思います。
私自身もその一人ですが、果たして子供たちが
その気持ちをどれだけ理解しているのか……?
「感じているのなら、少しは普段の生活態度で示しなさい」と
小言の一つも言いたくなりますが、
言ったところで、親の一人相撲みたいになってしまいますしね。

それに私自身も、その年齢の頃には、
やはり親の苦労をわかろうとはしていませんでした。
大学入るのに、浪人までしてしまいましたし。
「周りのみんなも浪人しているし、浪人させてもらうのは当たり前」、
親への感謝は「卒業して、社会に出て出世して返す」くらいに、
簡単に考えていたと思います。
それが、社会に出て、結婚して、子供が生まれ、育てているうちに、
そんなことはすっかり忘れ、親よりも子供が最優先になっている――。

でも、それがある意味、連綿と続いていく親子の絆、
家族のつながりなのかなぁと、勝手に解釈しています。
自分がそうだったように、
おそらく子供たちも、自分が親になった時に、
いろいろなことに気付いていくんだと思います。

とはいえ、少しは親孝行らしいことしなくちゃなぁと、
つくづく感じている今日この頃です。

(写真は少し前ですが、東京・赤坂の豊川稲荷にお参りした際、「その通りだなぁ」と思って撮影した言葉です)

スポーツひのまるキッズ事務局 林

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その34:言うは易く、行うは難し)

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先日の近畿大会で、お陰様で35回の『スポーツひのまるキッズ小学生柔道大会』を開催することができました。
正直、2009年4月に関東大会を始めたとき、社員でさえ、「これでどうやって収益を上げるんだ」と疑心暗鬼の
スタートでした。

あれから35回・・・。

心が折れかかったことも数回あり、その度に応援してくれる人々、頑張ってくれている社員、そして支えてくれる
家族の助けでなんとかここまでこれました。

本当にありがとうございました。

先日、引っ越しのため、荷物の整理をしてたら、昔の手帳がどっさり出てきて、ページをひっくり返して当時のことを思い出していました。

そして、面白いことを発見しました。

ちょうど近代柔道の編集長になった25歳くらいからの記録でしたが、編集長~渡米~帰国そして、二度のオリンピック、全柔連、
古巣に戻って常務取締役・・・と、週に一回は「まだまだできる、もっと頑張らないと」って書きなぐっていたのと同時に、
常に人のことばかり「●●がこう言った、●●はどう思っているんだろう」と愚痴めいた言葉がいつもそこにはありました。

ところが、創業して「ひのまるキッズ」を始めてから、それこそ、人に裏切られ、収益がまったく上がらず、常にどん底(笑)の
毎日なのにかかわらず、そのメモには「いまから、ここから!」「一日一死で悔いなく行こう」と自分に対しての叱咤激励が
そのほとんどをしめているのです。

そして、極めつけは「動機善なりや、私心なかりしか」

ただ、これを今までは少し違った解釈をして自分自信を奮い立たせていたことに先日気が付きました。

四国の友人がよく使う、彼の師事する稲盛さんのお言葉ですが、私は、『無欲に良いことをやっていれば必ず成功する』と勝手に
解釈して、ことあるごとにこの言葉を掲げていました。

ところが、先日、その友人と話していたら、「永瀬、たしかにそうだけど、俺は『事業を始めるときに、その事業を始める動機が
良いことかどうか、そして、その事業で利益を上げた時には自分に使うのではなく、その利益をまた良いことに使う。そうすれば
その企業は世の中に必要とされる存在になり、多くの人に支えられ、もっと大きくなっていくんだ』と理解してるよ」と言われました。

自分自身が、毎日、毎日、一日一死の思いで精進するのは当たりまえ。そうやって積み上げた利益をまた、世の中のために使って
こそ、本当の成功が生まれる・・。

言うのは簡単だけど、行うのは難しい・・。

そして、6年前の会社創業時に妻からもらった一枚のメモ。
『新会社設立おめでとうございます。長年の夢が叶って良かったね。そんなあなたに”Save for rainy days”という言葉を贈ります。
景気のいい時こそ、悪い時に備えてしっかり貯える会社にしてください』

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どこまでいっても『良いこと』をやりつくし、その収益は世の中のために有効に使い、健全経営で社員の生活を守る!!

言うは易く、行うは難し。  でも、必ずやります!!

いまから、ここから、新年度を迎えるにあたり、『有言実行』を今一度心に刻みます!!

永瀬 義規

スポーツひのまるキッズ近畿大会に被災地の親子をご招待して、改めて感じたこと

IMG_05642月9日(日)、大阪で開催したスポーツひのまるキッズ近畿小学生柔道大会。
宮城県から来ていただきやすいということもあり、この大会には、3年連続で東日本大震災の被災地である宮城県から親子をご招待させていただいております。
2012年は女川町と七ヶ浜町から32名、2013年は山元町から14名、そして今年は、石巻市から19名。いずれも被害がとても甚大だった地域です。

東日本大震災からまもなく3年が経ちます。
近畿大会の第1回大会は、震災直後の2011年3月20日(日)で、東北地方はまだ大混乱のさなか。関東地方もお米をはじめとする食糧不足の状態で、ほとんど影響のなかった近畿地区とはかなりの温度差を感じたものでした。時の経つのは本当に早いもので、あれからもう3年です。

スポーツひのまるキッズ小学生柔道大会では、2011年6月の東北大会以降、岩手県、宮城県、福島県の被災地の親子を大会にご招待させていただき、延べの人数は200名を越えました。

ご招待させていただいた選手、お父さんお母さん、そして指導者の先生方にお会いして、震災のお話をお聞きすると、本当につらい思いをされたんだなぁとつくづく思います。あの頃、毎日のようにテレビに映し出されていた悲惨な状況を、目の前で見た子供たちは、あの光景を一生忘れることはないと思いますし、震災前と震災後では、被災された皆さんの心に大きな違いが生じているのは間違いないことだと思います。

「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」という言葉は軽すぎますが、震災への意識は着実に、そして急速に薄まっているように感じます。

「子供が元気に柔道をやっている姿が見られて、本当にうれしい」
2011年6月の東北大会で、ご招待した山田柔道スポーツ少年団の子供のお母さんが、なにげなく発した言葉は、今も心に残っています。

震災から3年が経ち、状況は大きく変わってきています。でも、あの時の、親御さんたちの子供への思いと、子供たちの親御さんへの思いは、今も、そしてこれからも永遠に変わらないものだと思います。

「親子の絆」を改めて確認していただくためにも、スポーツひのまるキッズでは、東日本大震災復興支援プロジェクトをこれからも続けていきたいと考えています。

スポーツひのまるキッズ事務局 林

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その33:スタッドレスに泣き、スタッドレスに助けられた大雪のバレンタイン)

今年の2月14日は、本当に長い一日でした・・・。

その前夜は(FB投稿にあるように)、会社に泊まってしまいました・・。この時点で、かなり疲れが出ていたような気がします・・・。

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朝、バタバタの中で会議をしようとしていたら、フロリダからの来客、田中さん。会議はスタッフに任せて、ひのまるキッズの今後の国際展開を話や、
お互いの人生について(同じ年だったので)熱く語っているうちに、外出の時間。

14時に盟友・藤川さん(初のJリーガーで同じ年、現在、国際武道大学サッカー部監督)に会いに勝浦に行かなければならないということで、
田中さんとバタバタの中、出発。すでに雪交じりの雨が降っていたので、タクシーに乗り込んで、社内でも熱く語りながら駅前で降車。改札を通ろうとした時に
『あれ、定期入れがない…』
『支払いの時にSuicaで払ったのは見てましたけど(田中さん)』
『ですよね。じゃあ、タクシーだ・・』ということで
領収書からタクシー会社に電話をしていると、
『ちょっと降車したところに見に行きますよ(田中さん)』
『いや、道の真ん中で降りたので落としたら気が付くでしょう・・』
と言いながらも、横断歩道を渡って降車場所に行くと・・・
ありました。でも、車に踏まれてビチョビチョになっており、よく見ると小さな穴が開いている・・・。

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なんじゃこりゃ、と思いながらも、
『田中さん、ありがとうございました!!』と言って、そのまま電車に乗り込み、勝浦に向かいました。

勝浦についた時には、すでに大雪。

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タクシーに乗り込んで、藤川さんの待つレストランへ・・・。

14時からのパーティーは悪天候にかかわらず、なんと福岡からも訪問者があり、旧知の人とも再会もでき・・、と充実していました。

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15時くらいに『そろそろ電車が動かなくなったら困るから帰ります』とタクシーを呼んでもらい、御宿という駅に向かいました。

普段、10分で着くところを40分かかって、御宿駅に到着。そ、そこで恐れていたことが・・・。
電車がまったく着ません・・・。

小一時間待って、これはダメだと思案していると、ふと先ほど交換した名刺がポケットから出てきました。
それは、数年ぶりに再会したミズノの井上さん。『そうだ、彼は車だと言っていたけど、タイヤがノーマルだからあきらめて泊まるって
言ってたけど・・』と携帯に電話したら・・、

『いやあ、なんとスタッドレスタイヤだったので、車で東京に向かって、先ほど御宿を過ぎてしまいましたが、戻ります!!』

これぞ、神の助け・・・。

ん?スタッドレスタイヤ・・。もしかしたら・・・と定期入れをよく見ると明らかにボツボツはその証でした(笑)

しばらくして、無事に迎えに来ていただき、そのままミズノ本社の御茶ノ水駅まで送っていただき・・・・、西国分寺前直帰する・・・
はずでしたが、なんと、武蔵境でまったく動かなくなり、頭来て、もうホテルに泊まろうと歩き回ったものの、全部満室・・。

バレンタイン???

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もう腹を決めて、まずは腹ごしらえと武蔵境駅近くのカレー屋さんでしっかり食べて、ホームに戻ったら、中央線は動いており、無事、
西国分寺に到着。と、改札を出た途端、とても嫌な予感が・・、家の鍵を会社に忘れた・・・。そう、徹夜あけでバタバタで机の上に・・。

一瞬、目の前が真っ白・・、雪で回りも真っ白・・。

仕方なく、最後の手段。実家の母親が持っているスペアキーを借りに、今度は武蔵野線に乗って新小平に(隣駅)、そこでやっとタクシーに
乗れて、そのまま実家に行き、カギをピックアップして西国分寺についたのが24時・・。

タクシー車内で、運転手さんが話をしていた内容がスタッドレスタイヤ。

とにもかくにも、2014年のバレンタインはスタッドレスタイヤの日だなぁ~、と朦朧とした意識の中、その日を終わりにしたのでした。

くだらない内容でしたが、こんな日もあるんですね。いやあ、結構きつかったです。寂しかったです・・・。

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いまから、ここから、仲間や家族の大切さを痛感したこの日を糧に気張っていきます(笑)

永瀬 義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その32:自他共栄~多くの人に支えられて)

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社長、私は悔しいです。学生たちに「Mさんは、何の職業をされているんですか?」って聞かれて、「私はこれよ」と
答えたら「いえいえ、普段は何をされているんですか?」「だーかーら、これだって」「え、こんなことが職業になる
んですか?」と言われてしまうんです。

以前、ミスひのまるキッズのM嬢が大会後にこぼしていた。

かねがね、「俺たちはプロだ。スポーツで飯を食ってるんだ。だから、ボランティアの方々に対して過度な期待をしては
ならないんだ」と言って、プロフェッショナルを追求しているものの、時々、会場の補助係りの学生のその働きぶりに脱帽
することがある。

今回の大阪の常翔学園高校の男女、大阪体育大の女子チーム。

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常翔は児玉先生の指導のもと、とにかくしっかりしているし、

大阪体育大チームは、M嬢を初めとする弊社スタッフの過酷なオファーにもかかわらず(笑)、最後の最後まで明るく業務を
こなしてくれました。

将来、この子達の中から『同じ釜の飯』を食べれる人材が育った時に、一人でも大草受け入れられるよう、事業を確実な
ものに成長させなければならないと、切実に思った近畿大会でした。

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いまから、ここから、未来の仲間との夢の共有を願って…。

永瀬義規