いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その469;頑張ると気張る)

昨日、今日で開催された全日本学生柔道体重別選手権大会。

私はこの大会が大好きで、いつもワクワクしてます。

体重無差別の全日本学生優勝大会では、軽中量級主体のメンバーでベスト8の成績しか残せませんでしたが、我々の時代にこれがあったら、必ず旋風は巻き起こせる(残念ながら階級的に私は入る余地はありませんが💦)と同期の青井といつも後輩たちの試合を見守っています。

基本、柔道は個人競技。

団体戦はみんなで勝ち取るものです。

自分だけ頑張ってもいい結果を生むわけではなく、時には引き分けに持ち込まなければならないこともあります。

体重無差別の優勝大会で体力的に不利な選手が、(上位にいけばいくほど)積極的に引き分けに持ち込めるほど甘くないですが、同階級ならその難易度は下がります。

もちろん、その一戦に己を尽くし、全力で相手を投げることのみに集中することはできませんが、チームの勝ち負けを仲間に託し、みんなで一緒に最終目標を達成することはできます。

ここは踏ん張るから頼む!

よし、後は任せておけ!

といった状況を仲間と共有できたらどんなに忘れられない思い出となるか・・と思ってしまうんです(もちろん、現役時代にそこまで余裕を持って試合ができたかはわかりませんが・・)。

さて・・、

今朝目が覚めて、とてつもなく二つの言葉の意味の違いが引っかかり、昔、そのことをとても分かりやすく説明してくれた『虎の会』の友人にラインをしてしまいました。

結果的には、私の勘違いで、説明してくれた友人は人違いでしたが、私の中では

人の評価を得るために打ち込むことが『頑張る』

自分が納得するために打ち込むことが『気張る』

という結論で大会会場に向かいました。

でも、どうも気になって道中、グーグル先生で調べてみるとこんな答えが出ていました。

『頑張る』とは、『我を張る』こと。独りよがりのこと。
『気張る』は、『周りを気遣って張り切る』こと。

京都の『おきばりやす』の解釈も添えられ説明がありましたが、

周りの人に気を使って張り切ることが『気張る』こと。


人は一人でできることには限りがあります。
周りの人を巻き込んで、同じ目標を掲げ、一つになって突き進む・・、それは世の中で生きていくのに、特に我々の仕事では最も必要なことです。

目の前でチームの勝利を目指して必死に戦う後輩たちの背中を見ながら、「こいつら気張ってるなぁ」とうらやましく思い、そこに我々が介入、ましては、勝ち負けで何かいう筋合いではないと改めて思いました。

言えるのは一言

ごくろうさま。

ですね。

ちなみに、火曜日から4日間、山口に出張。いつも通り、10社以上の協賛営業で400キロ以上車で走り回ります。

でも、ここに至るまで

各社ごとのセールスシートを作って宿泊先に会社ごとに分けて送ってくれる仲間

交通手配や、アポイントメントを取ってくれる仲間、

の支えがあってこそ、自分がやるべきことに集中できます。

まさに、みんなの気張りの集大成!!
協賛が決まったら、もちろん、

『おかげさま』とみんなでガッツポーズです(笑)

いまから、ここから、さあて、気張ってきます!!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その468:『子と夢をつなげる』ことへのこだわり)

我々の世代であの衝撃を覚えていない人はいません!

先日の全日本学生柔道体重別会場で旭化成柔道部の吉田優也監督と、まるで昨日のことのように盛り上がった話題・・。

近代柔道杯創設の話から、国際化の話になった時に吉田監督から出た第一声が冒頭の言葉でした。


今から18年前、2004年の近代柔道杯。参加した中学生たちの注目を一身に浴びていたのがフランス代表の中でひときわ目立ったいたデディ・リネール。もちろん、当時はまさか彼が世界柔道の歴史に数多くの金字塔を打ち立てて、フランス柔道界のスーパースターになると想像していた人間はいなく、ただただ、2メートル近い彼の大きさに、その年の中学チャンピオン・吉田監督を初め参加者の全てにとてつもないインパクトを与えました。

おい、知ってる?
俺(私)は、中学の時に柔道やっていて、全国大会でリネールと同じ畳に上がっていたんだよ!

参加者が、 柔道を続けていなくても、
高校、大学、そして社会人になって 、さらには親となって、胸を張って話ができるステージ創り・・。

そうなるであろうことを信じ、愚直に大会を開催し、拡大していったときのことが頭の中を走馬灯のように蘇ってきました。

そして・・
6年前に社内で

『柔道以外のひのまるキッズを!』

となった時に、バスケットの話となり、チーム競技で親子の絆を深めるというコンセプトだけで我々の想いを表現することは難しい、でも、このやり方なら子供たちと夢をつなげることになるのでは・・・

と意見がまとまり、前職ではライバル会社の日本文化出版に話を持ち掛け、意気投合したのが、

月バスカップU-15

でした。

コロナ禍でやむを得ず中止となった2年を経て、今年の8月に満を持しての開催。先週、手元に届いたのが巻頭の月刊バスケットボール11月号でした。

誌面では、同時期に開催された全中と負けず劣らずのページ量。前号で参加メンバーリストも掲載していただいていることもあり、まさに、子どもたちの夢がかなう瞬間を目の当たりにした感動で何度も何度も読み返し、会う人、会う人に掲載ページを開いて見せまくっていました(笑)

参加者がこの雑誌(それも八村&カリー表紙の)を手に、当時の思い出を語ってくれるのはもう少し先かもしれません。

でも、その時は必ず来るという確信はあり、そうなった時にもっともっとたくさんの思い出を残すための努力を怠ってはいけないとスタッフ一同気を引き締め直しています。

いまから、ここから、夢はみるものではなく、かなえるもの。そのステージ創りが我々のお仕事です。

永瀬義規

P.S ちなみに、昨年の東京2020でリネールさんに近代柔道杯のことを覚えているか聞く機会がありました。
答えは、もちろん、
of course. I will never forget!
でした!!



いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その467:ありがとう、燃える闘魂)

10月1日。

『燃える闘魂』アントニオ猪木さんご逝去。

個人的には空港で2度ほどお見掛けし、そのうちの一回はご一緒させていただいた方が猪木さんと親しい関係でご紹介を受け、当時、全柔連広報担当としてバタバタしている私に『スポーツはいいよね。頑張って続けてください』とお声をかけていただいたことが自慢の一つでした。

そして、その数日あとに猪木さんの引退興行をテレビで見て、彼が最後にファンの皆さんに残した言葉に非常に感銘を受けたことは昨日のように覚えています。

訃報のニュースを聞いて見上げた武道館の日章旗を見ながら、その言霊が蘇りました。

この道をいけばどうなるものか、
危ぶむなかれ。
危ぶめば道はなし。
踏み出せばその道が一足の道となる。
迷わず行けよ。
行けばわかるさ

人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめたときに年老いていく・・・。

闘魂~闘いを通じて己の魂を研き、己に打ち勝つこと~

命の限りこれを全うした猪木さんのご冥福を心からお祈りいたします。

合掌。

いまから、ここから、負けず歩み、挑み続けます。

永瀬義規

いまから、ここから。ひのまる社長の独り言(その466;ありがとう、ガラケー!)

ひと月早いけど・・・。

リハビリで顔を一生懸命ゴシゴシとマッサージしてる私にパートナーが差し出したのが、

iPadミニ

昨日、20年間三台にわたって使い続けたガラケーとお別れを告げて、手にしたiphoneに続いてのビッグなプレゼント。

そこには、

体が資本!
50代最後の病気はそれを教えてくれたと思いますよ・・。

と書かれていました。

以前、ここでも紹介しました、故・渋沢栄一氏が残した

言葉の通り、

まもなく幕が明ける
働き盛りの20年を迎えるにあたり、
古いもの、これまでの固定観念はサクッと切り捨て、

勇気を持って
誰よりも先に
人と違うことをする

ために、

急進歩のデジタル時代に真っ向勝負していきます!まずはこの機器で(笑)!!!

いまから、ここから、ありがとうガラケー!!! ありがとう家族!!!

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その465:創立9年!みなさん、ありがとうございます!)

本日。

一般社団法人スポーツひのまるキッズ協会はお陰様で設立9周年を迎えることができました。

思い起こすこと10年前。

当時、それまでジャパンスポーツコミッションとして立ち上げた
『スポーツひのまるキッズプロジェクト』も5年を迎えるにあたって、もっと公共性のある組織にするには・・

と様々な方に相談し、


2013年9月18日。
設立に至った経緯を今でも忘れられません。

そして、

来年で10年の節目を迎えるにあたって、
これから後に続くものたちにどうつなげていくか・・・

我々の行動規範である

勇気を持って
誰よりも先に
人と違うことをする

をブレることなく、

スポーツで
親子の絆を深め
子と夢をつなげる

テーマパーク創りにスタッフと共に愚直に取り組んでいこうと思っています。

いまから、ここから、皆さん、今後ともよろしくお願い申し上げます!

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その464:休憩中)

28歳の時、会社を退職するとき、一番気にかかっていたのが、

果たして俺が辞めて後に残ったスタッフで近代柔道は発行されるのだろうか・・

でした。

でも、そんな心配は(当たり前ですが)全くの無駄で、翌月にはしっかりと雑誌は本屋に並んでいました。

そう、当たり前のように世の中は動いているんです。

最初の東京オリンピック招致メンバーにお声かけいただいた時、

オリンピックは俺がいなくたってなんの問題もない、でも俺の事業は俺が一秒でもいなくなったら成り立たない

と言ってお断りしました。

たしかに立ち上げのあの当時はそうだったかもしれません。でも、実際、昨年のTOKYO2020で2か月足らずお手伝いをさせていただいている間、スタッフがしっかりと会社を守ってくれていました。

誰が何しようと、世の中は動いている。

必要とされれば、その時に最大限のパフォーマンスを出せばいい。

って、久しぶりに空を見上げ、雲をゆ~っくり眺めて思っています。

盡己

人生を全うするときに、「俺の人生、まんざらでもなかったな!」って究極の自己満足感を得るためにも、まずは健康第一!!

いまから、ここから、少し休みます。

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その463:一つの結果)

夏休み終盤戦!

柔道界では金鷲旗、インターハイに続き、今週は全中、そして実業団で熱い戦いが繰り広げられました。

高校生の大会は会場でひのまるキッズ卒業生たちの熱戦を真に当たりにして感動しまくっていましたが。

残念ながら行けなかった全中、実業団は、公式サイトでの動画や記録にクギ付けになっていました。

特に全中の結果では、興奮しまくり!!

最近、歳のせいで物覚えが悪くなった私でもつい最近のことだったこともあり、記録をみて『お! こ、これは!』と一人画面に向かって混みあがる想いをぶつけていました(笑)

そんな中で、注目は、

マナー賞受賞者の活躍

そのたびに詳細を調べていたわけではないので(すみません)まだまだ気が付かない選手もいたかもしれませんが、今回、マナー賞受賞者の好成績が目に付きました。

特に男子55キロ級は入賞者の3人がマナー賞受賞者。

感無量です。

巻頭の写真は、今でも時々息子さんの成長ぶりを報告してくださる池内道場の池内先生とご子息の雷基くん。みごと55キロ級で優勝を果たし、嬉しいツーショットの写真が送られてきました。

小学時代に常日頃から相手を思いやる気持ち・相手がいなければ試合が出来ない。
試合をしてくれてありがとう感謝の意味があるから、試合の時の礼をしっかりやるんだよ
試合をやらせてくれて、ありがとうと、畳に対して感謝の気持ちを持って畳に上がる時、降りる時にしっかりとした礼をするんだよ

それをやっていれば、柔道の神様も味方してくれるから運も向いてくる。そしてマナー賞も獲れるんだよ!

と教えてきました

今回の6試合全て、しっかりとした礼法が出来ていました
動画を見て頂ければわかると思います。
全選手の中で一番礼法がしっかりしていたと勝手に思っていまして、たぶん全中でマナー賞があれば、雷基だと思ってます😊

だから準決勝・決勝も柔道の神様が味方してくれたのかと
勝手に池内家は解釈しています😅

マナー賞→全中優勝につながりました🏅

過去、ひのまるキッズには25回出場、4大会で6年連続出場を果たし、優勝3回、2位5回、3位8回という、まさに『ミスターひのまるキッズ』。

ただ、彼の最大の勲章はマナー賞4回だとはっきりと言っていただきました。

忘れられない一つの結果。2022年夏の最大の思い出です。

いまから、ここから、一つ一つ、結果を信じて。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その462;変わらぬ想い)

昨日から3日間。スポーツひのまるキッズバスケットイベント・第5回月間バスケットボールカップU-15が、前橋のALSOKぐんまスポーツセンターにて開催。

全国から48チームの男女チームが様々な拘束を遵守し、元気に決戦を繰り広げています。

三年ぶりに開催できた今大会。

開会式はキャプテンのみ
親のコードサイドでの参列・応援はなし
講師によるクリニックもなし

と、ないないづくめの大会となってしまい、正直、

こんなのひのまるキッズじゃないよ・・・

と落ち込んでしまいましたが、スタッフの本当に様々な困難を乗り越え、とにかく、大会を開催するんだ!という確固たる想いで、与えられた環境で最大限の努力を惜しまず、開催にこぎつけた姿を見て、正直、そんなふうに思っていた自分自身を恥ずかしく思ってしまいました。

大会の模様は、大会終了後に担当者からの熱い思いをここで語っていただきますが、

親子の絆を深めるということももちろん、今回は子供と夢をつなげるということに重心を置き、月刊バスケットボールでは全中と同等のページ数で大会掲載予定。憧れの専門誌でたくさん詰まった子供たちの『思い出の1ページ』を見ることがいまから本当に楽しみです。

さて、巻頭の写真は、黙々と会場の椅子をきれいに並べるスタッフ。

この前の『独り言』で取り上げた中島杏奈が転職後初めての休日を惜しんで手伝いに来てくれた姿がありました。

彼女からすればインターンとして初めてひのまるキッズにかかわった6年前の本大会で始まり、この大会で締めくくりたいという気持ちでの参加申し出だったとのことでしたが、

実は、その6年前、何もわからない学生だった彼女が、初日終了後、一人で控室の椅子をきれいに整頓していた姿を見て採用を決定したことを思い出し、改めて、変わっていないその姿に感動、感謝・・・ウルっときてしまいました。

変わらぬ想い

決して忘れてはならない、そして後から来るものにしっかりと伝えるべき宝物ですね。

いまから、ここから、レガシーは間違いなく確立しつつあります。

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その461;スポーツで飯を喰っている仲間たち~それぞれの門出)

FBで取り上げましたが、スポーツひのまるキッズ協会から、スタッフが一人卒業しました。

6年前に彼女が入社してきたときの、

本当に続くかな???

という心配をよそに、コツコツ、コツコツ努力し、年齢的にはかなり上の先輩たちに囲まれる中、その成長ぶりは毎日毎日確認することができ、正直、

やっと一人前になったね! と期待が当てに変わった時のことだったので、退職の意向を本人から聞いた時には本当に『青天の霹靂』目の前が真っ白になってしまいました。

でも、

兼ねてから、

俺は、28歳、33歳、45歳で人生の転機を経験して今がある、なので、その年齢が来るその時までとにかく己を尽くして尽くしまくれ!

と言っているので、28歳になった彼女はそれをしっかりと全うしてくれたのだとある意味感心しています(次に移りなさいと言った覚えはないのですが・・苦笑)。

転職先は、スポーツとはあまり縁のないところらしいですが、幼少のころ身体の弱かった彼女が部活に入り鍛えられ、社会人になっても、無遅刻、無欠勤。このブログでも週一アップはやり続け、大会会場では止まることなく走り回った努力家の彼女。

どこに行っても活躍は間違いなしと太鼓判は押しておきます‼️。

このスポーツで飯を喰った6年間。ここで培ったスキルを次のステージで思う存分発揮してもらいたいです。

まさに娘を嫁に出す気持ちを味わいました。

そして、もう一人。幸せの門出に立ち会うことができました。

アスリートビューティーを極めたいと、富山の友人から推薦されたのは6年前だったと思います。

バトミントンで鍛えた根性と、ミスユニバース愛知県準決勝まで残ったポジティブシンキングで様々なことに挑戦したがっていた彼女に創業の心構えを教えた・・つもりでしたが、頑固な一面を持っており、ある意味その頑固さを貫いて巡り合った最高の彼氏と2年前に入籍。

TOKYO2020スポークスマンの旦那さんの仕事が一段落して、昨年授かった赤ちゃんと一緒に催した昨日の結婚披露宴は本当に感無量の宴でした。

アスリートをメイクにより内外から美しくしていくという彼女。

ワールドワイドスポーツ界でメディア対応の第一人者として成長著しい旦那さん。

まさに、

『スポーツで飯を喰う』を地で行くカップルは、これからの我々の向かう道に一筋の光明を与えてくれます。

ひのまるキッズ事業に加えて新事業準備で全国奔走、少し、というかかなり余裕のなくなっていた時に遭遇したそれぞれの門出。

激しく変わる天候の中のこの出来事は、将来、忘れられない思い出となりました。

いまから、ここから、中島杏奈、花田満寿美、二人の輝かしい未来に栄光あれ!!!

永瀬義規

いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その460;ありがとう、近代柔道)

ここだけの話ですが・・・。

と数人から連絡があったのが、数カ月前のこと。

愕然としました。

それから、連絡から、問い合わせに変わり、
メディアに記事が載ってからは、
お悔やみ(?)励ましに…。
一時期はお陰様で大同窓会のようになってしまいました。

柔道専門誌『近代柔道』休刊

もう一年くらい前、

近代柔道杯が無くなるという話を聞いた時。
かつて新入社員の私が編集長の故・根本さんと作り上げたこの大会だけは絶対に守り抜くと覚悟を決めた時は、それを感づいた恩師に

おい、もうコロナで何度か中止になっているのだからな・・。それに近柔が無くなるわけじゃないのだから、やり方はまだまだあるからな!!

と言われ、しばし冷静になったものの、

まさか、その元々の雑誌が無くなろうとは・・・

絶句でした。

ただ、

私の編集長経験は、25歳から28歳までのわずか4年弱。私の後の編集長が、8年、9年、そして最後の編集長が10年と長い経験者なのにも関わらず、私と、次に編集責任者となった林の二人が、本当にどんなに数えきれないほどの声をいただいたか・・。

それだけ、我々二人のことを育ててくれた強烈な媒体だったと、今になって改めて感じています。

近代柔道との思い出は、気持ちの整理がついて、少し落ち付いて、時期がきたらここで書いていこうと思っています。

実は、先週のここで書くつもりでしたが、思い出でいっぱいいっぱいになってしまってアップできなかったのが本当のところです。

本当に、本当に・・・

ありがとう近代柔道。

お疲れ様、ベースボール・マガジン社。

ところで、巻頭の最終号の表紙を飾った村尾三四郎選手。
全日本学生で死闘を演じた斉藤立選手と共に、ひのまるキッズ創成期で最高のパフォーマンスを披露してくれたチビッ子柔道家でした。
ある、運命も感じますね・・。

その事はおいおい・・。

いまから、ここから、さあて、前に進みます!!!

永瀬義規