いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その470;重要ミッション)

昨日、出張合間のお休みを使って家族でお墓参りに行ってきました。翌日(つまり今日)が亡き父の14回目の命日でした。

品川でランチミーティングを終了させて、品川駅から高田馬場経由で花小金井駅まで行き、そこからサイクリングロードを15分くらい。

てくてくと歩いていき、隣接している『小平ふるさと村』で暫し休憩。

そこに移設されてあった『旧小平小川郵便局』を見ながら、幼少期の古き思い出に浸ってしまいました。


http://kodaira-furusatomura.jp/detail/f00004.html

当時、小学1.2年生の私には、日々の永瀬家重要ミッションがありました。

それは、

家業であった弁当卸売製造業の売り上げ(の一部)を近くの郵便局で預金するということ。

様々な理由から脱サラをし、長屋の台所を改築し、朝の2時から深夜12時までひたすらお弁当、お惣菜を作り、地元のスーパーや病院に卸していた両親。

二人が一仕事終えて昼寝(夕寝)させるためにかって出た一大ミッション。
記憶は定かではありませんが、確か、4~6万円を月曜日から金曜日まで毎日、毎日、雨の日も風の日もそれこそてくてく歩いて通ったものでした。

4年生に上がる前にお店を持つことになり引っ越しするまで、どんなことがあろうがそれを続けなければならないと強く思い歩いたことは今も鮮明に覚えています。

そして、今、小平ふるさと村の外にある郵便ポスト。

当時、実は一人で心細く、歩く先にこれを見つけたときの安堵感も脳裏に焼き付いています。

久しぶりの再会の時、

おい、久しぶりだね

すっかり大人になって(笑)

相変わらず、親孝行頑張っているかい

あの時、真っ赤ででっかい頼もしい目印が、今ではすっかり色あせて、こじん まりとしながらも、ゆっくりと語りかけてきたように感じました・・。

お陰様で先日、還暦を迎えることができました。

あの、お金が入った封筒と通帳を入れたバックを斜めかけにして黙々と歩いていた時から半世紀以上過ぎました。

この60年。

振り返ればジェットコースターのような人生。たくさんの人に助けられ、多くの人にご迷惑をかけ、自分のやりたいことを自分なりに精一杯やってこれたと本当に感謝しかありません。

60,70は働き盛り(はなたれ小僧という人もいますが・・・(笑))

71歳で亡くなった父は、その働き盛りをどう過ごしたのだろうか? 

振り返ると父が60歳の時、私は35歳。
アメリカから帰国し、幕張世界柔道を任され、アトランタ五輪の広報担当に選ばれ、まさに調子に乗りまくり。
家族のことも顧みずただひたすら仕事に没頭(していたつもり)し、規模は縮小したものの、当時も続いていたお弁当屋さんで母と二人でひたすら同じ生活を繰り返す父親に「もう仕事しなくていいでしょう」などと言っていたような気がします。

それから、11年後。亡くなる直前までお店を守り続けた父。

彼の10年間は、なに盛りだったのだろうか・・・。

その8年後に母も他界し、そのことを聞く術もありませんが、二人の子どもを育て上げるために働いて、働いて、働き尽くしたと言っても過言ではありません。

お墓参りを終え、先ほどの返事をと思い郵便ポストを再び訪れました。

はい、元気です

お陰様で両親と同じく、夫婦共稼ぎです。

親孝行はもうできませんが、働き盛りの10年間。仲間と気張って後から来るもののために道なき道を突き進みますので、見守ってください。

さて、10年後

なんて報告ができるか・・・。掲げたミッションはコンプリート出来るのか否か

いまから、ここから、みなさん、お楽しみに!!!

永瀬義規

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