いまから、ここから、ひのまる社長の独り言(その452:受け継ぐ、引き継ぐ、感動のみちのく一人旅)

10日から13日までの4日間。2年ぶりの東北・みちのく一人旅に行ってまいりました。

まずは、新幹線で新花巻へ。

ビジネスの師匠。敬愛する実業家・アイオー精密の鬼柳会長の元へ。

実は3年ぶりとなる実面談で少々緊張しておりましたが、まずびっくりしたのが本社社屋が2倍以上に拡大されていたこと。

数年前、

『ここ一帯の土地は確保した。こんな田舎の花巻から世界に日本のものつくりを発信するんだ!』

とおっしゃっていたことをしっかりと実現。

さらに、尊敬すべきは、

代表取締役は息子さんに譲ったものの、ご自身は旧社屋の隅っこ(失礼)に机を構え、常に会社の状態を把握。久しぶりの対面での第一声は、

永瀬さん。これからはデジタル化にどう対応し、これを使いこなすかだよね。凄いよねぇ~。コロナ禍のおかげで世界があっという間に狭くなっちゃった。これからまだまだやることだらけだよ!!』

圧巻でした。

そして、その日の夜は、北上に行き、焼肉やまとの緑川専務と会食。

中学時代から活躍し、東北高校→山梨学院大学と柔道どっぷりの人生から、今やお母さんと一緒に実家の事業を切り盛り、東北屈指の焼肉チェーン店に推し上げた若手経営者。現在は地元米の生産、新事業に意欲を燃やす彼の話に思わず時間を忘れてしまいました。

二日目は、東北大会開催地の弘前へ。

まず訪れたのが櫻田市長。

「実は、永瀬さんと弘前市行政で一番長いのは私なんです』

と面談時に市の職員さんに自らお話しされた通り、13年前に初めて市役所を訪問した時に対応してくださったのが、当時市職員で観光課の課長補佐だった市長その人でした。

地元新聞の記者も同席されて、面談はあっという間に過ぎてしまいました。

そして、市の関係各所を訪問し。

中大柔道部先輩が経営される『磊(みついし)』にてお会いしたのが、成寿会の奥村理事長。

1997年。中央大学柔道部全盛期に大きく立ち塞がった名門・明治大学の主将としてとにかく煙たい存在だった中量級名選手。

現在は医療法人の理事長として、様々な事業展開に挑んでいる彼の話は熱く、思わず写メを撮るのを忘れてしまいました。

その夜は、前回スポーツひのまるキッズ東北大会、10年連続協賛表彰をさせていただいた蛇蘭・野宮オーナーに挨拶ができたのも嬉しい出来事でした。

そして、翌日。

ひのまるキッズ最大の理解者のお二人と連続でお会いできました。

弘前を中心に店舗を拡大する大手スーパー・佐藤長の佐藤代表取締役と、その佐藤氏を紹介してくださり、とにかくひのまるキッズが公私ともに一番お世話になっている応援団長・和電工業の藤田社長。

弘前市の実業界を支えるこのお二人。とにかく、足を向けて眠ることはできない存在。ここでは、書ききれないくらいお世話になっています。感謝!

そして、この日、車で2時間半かけて訪れたのが、八戸。

そこで待っていてくださったのが、黒ニンニク製造会社のトータル・松頭親子。

実は、もう5年位前、友人の紹介で取り寄せてからすっかりとファンになり、注文の際にメールで交わしていただけだった松頭会長。最初は2年前に会社を訪れ、息子さん(現・社長)しかお会いできなかっただけに、会長と会うのがとても楽しみでしたが、想像以上に熱く、物事に対する考え方がピッタリでした。

その後にご一緒した蛯名先生(年齢は一つ上。尊敬する山形・田島先生と青森北高校で同期の柔道家)と共に、とても初対面とは思えない盛り上がりを見せたのは言うまでもありません。

その感動が覚めぬまま、翌日、2時間のドライブで青森へ。初めてのお約束の方には入れ違いでお会いできなかったものの、

最後の最後でお会いできたのが、東北大会メインスポンサーを続けてくださっているイマジンの野崎社長。

いつも柔らかな物腰で、でも熱い志を秘め。常にひのまるキッズのことを心配し、最大の協力をしてくださる街の名士との話は、みちのく一人旅の締めくくりにふさわしい再会でした。

上記に挙げた経営者以外にも多くの人に快く迎えてもらったみちのく一人旅。

7年前。深夜バスで往復した時のことを思い出しながら、その時に負けず劣らず、いや、それ以上の感動を改めていただいたこんな出張をできたことに感謝です。

『自分の好きなことを四の五の言わず一生懸命やれる。こんな幸せなことは無い(松頭会長)』

本当にそのことをつくづく思わせてくれた4日間でした。

いまから、ここから、まだまだまだ、やれます!!

気張るぞ!!東北大会!!!

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